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遠藤雅伸

遠藤 雅伸(えんどう まさのぶ、1959年2月23日 - )は、日本ゲームクリエイター東京工科大学博士(工学)[1]東京工芸大学芸術学部ゲーム学科教授[2]

株式会社ゲームスタジオ創業者・相談役、日本デジタルゲーム学会副会長[3]宮城大学客員教授、株式会社JAGMO名誉会長、慶應義塾大学大学院特別招聘教授。「ゲームの神様」の異名を取っていたこともある[4]東京都渋谷区出身。

来歴

井草八幡幼稚園、横浜市立つつじヶ丘小学校(上石神井小学校から転校)、横浜市立田奈中学校[5]神奈川県立横浜翠嵐高等学校千葉大学工学部画像工学科卒業。

1981年ナムコ入社。研修時に『ディグダグ』のテストプレイを行い、その際に書き留めたテクニックのメモが中村雅哉社長(当時)の目に留まり、豆本「ディグショナリー」として出版される[6]1983年にシューティングゲーム『ゼビウス』のゲームデザイン・プログラム・グラフィックを担当、大ブームを巻き起こす。以降『ドルアーガの塔』『グロブダー』などを手がける。

1985年に独立し、株式会社ゲームスタジオを設立。『イシターの復活』『カイの冒険』『ザ・ブルークリスタルロッド』といったバビロニアン・キャッスル・サーガシリーズや、『ファミリーサーキット』『ケルナグール』(以上ナムコ)『機動戦士Ζガンダム・ホットスクランブル』(バンダイ)『エアーズアドベンチャー』などのゲームデザイン・開発、ファミリーコンピュータ版『ウィザードリィ』シリーズ(アスキー)の移植プロデュース、『いただきストリート』のディレクション等を手がける。

また、携帯電話用アプリケーションにも早期から参入し、2004年4月21日に株式会社を設立。『三国志年代記』『(ケータイ社長)』『右脳パラダイス』『ビーチバレーガールしずく』などのタイトルを手がけている。また2008年放映のテレビアニメ『ドルアーガの塔』およびMMORPG『ドルアーガの塔 The Recovery of BABYLIM』では、スーパーバイザーを務める。

2014年より、東京工科大学大学院に進学[7]。「ゲーム研究者」としての学位取得が目標で、盟友の飯野賢治の死が大きな契機になったという[8][9]2020年、博士課程を修了し、博士(工学)を修得[1]

一般社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CEDEC)が主催する「PERACON」においては審査委員長を務めていた。しかし、2019年と2020年に開催された「PERACON2019」および「PERACON2020」において、遠藤を含む数名の審査員が、参加者や参加者の所属企業への誹謗中傷を含むコメントや参加者への加害を示唆するコメントを残した。結果発表直後、これらのコメントはパワハラではないかと問題視され、「PERACON2020」のすべての審査員コメントが公式ウェブページから抹消される事態となった[10][11][12]

遠藤雅伸★として

2001年3月14日2ちゃんねるの(レトロゲーム板)「XEVIOUSを懐かしむ」スレッドに「Evezoo END」の固定ハンドルで書き込み、当事者でしか知りえない数々の情報を披露し閲覧しているゲームマニアたちを驚かせた[13]。その後、2ちゃんねるの管理人の西村博之より専用の固定キャップを貰い、同月29日より「遠藤雅伸 ★」として2ちゃんねるに書き込むようになる[14]。遠藤雅伸をネタにした「こんな遠藤…スレ」にも時々書き込みをしており、スレッドが落ちた際には本人が新規スレッドを立てることもある[15]

また、「レトロゲーム板@2ちゃんねる掲示板」の看板(コンピュータで描かれたイラストレーションで掲示板の名前が表示される)を作成し2001年5月14日より採用された。[要出典]

2008年、GyaOジョッキーにて行われたアニメ『ドルアーガの塔 〜the Aegis of URUK〜』最終話の実況放送に、「遠藤雅伸★」名義でゲスト出演。「(遠藤雅伸★は)キャラクターですから」と割り切って数々の名言を放ち、同プログラムの同時視聴接続最高数の新記録を樹立した[16]。またMMORPG『ドルアーガの塔 The Recovery of BABYLIM』でも「遠藤雅伸★」名で、25歳当時の写真を元にしたという外見のプレイヤーキャラクターを持ち活動。

メディア

ゼビウス』のヒット後よりメディア出演を行い、ゲームデザイナーとして名が知られる第一人者となった。

テレビ

コマーシャル

映画

ラジオ

雑誌

  • ログイン1984年2月号、アスキー
    • 『ゼビウス』のファンであった細野晴臣との対談が掲載(当時同誌編集者だった野々村文宏の仲介による[18])。この席で、細野が『ゼビウス』のBGMも気に入っていたことから、ゲームミュージックのアルバム制作の機運が盛り上がり、後に『ビデオ・ゲーム・ミュージック』の制作に繋がる[19]
  • 朝日ジャーナル(1985年4月19日、朝日新聞社
    • 連載「新人類の旗手たち――筑紫哲也の若者探検」第1回ゲスト[20]
    • のちに単行本『新人類図鑑〈PART 1〉』に収録。
  • Beep日本ソフトバンク
    • 特集「遠藤雅伸さんとつくったBEEP」(1986年8月号)
    • 連載「遠藤雅伸のランダムトーク」(1988年、遠藤がゲストとトークを行う連載)
    • 連載「遠藤雅伸のレトロ帝国の逆襲」(1989年、レトロゲームを採りあげる連載)
  • 週刊ファミ通2009年4月10日発売、エンターブレイン
    • 自身のネットとの付き合いを語る中で、「ブログも某掲示板と同じくまとめページが作られることを前提に書いている。但し、ウィキペディアはウソばかり。匿名性が有るから何をやってもいい、と考えるのだろうね。」と発言[]

その他

エピソード・その他

  • ナムコのゲーム『イシターの復活』のルームNo.89「DEAD END(行き止まり)」にて、デスクの前で倒れている姿で登場。これは「死んだ(DEAD)遠藤(END)」とかけた洒落である。因みに、この部屋は一本道の行き止まりである[23]
  • アルバム『ハドソン・ゲーム・ミュージック』の収録曲「バイナリィランド」において、3歳から始めたピアノの腕前を披露している。楽器はピアノの他に、中学からトランペット、高校ではジャズ・コンボを作ったり、シンセサイザーやベースギターも経験する[5]
  • 自身がゲームデザインを手がけた『Bビーダマン爆外伝』のカードゲームでは、CMソング「いくぜ!キラカード!!(ダークビーダ編、ビーダマン編)」の作詞も手がけている。
  • 多忙な身であるがサイトを運営するファンのインタビューに応じたり2ちゃんねる等のインターネットを中心として行われるOFF会等、遠藤が誘われた際は都合があう場合に限り出席する事もある。インタビュー・OFFの様子は、多くのサイト・ブログに記されている。ファンとの集いで判明した事実・裏話もかなり多い。
  • ウィキペディアに対しては批判的立場を示しており、ブログや雑誌上で度々、「自身についての項目は嘘ばかりである」と述べている[24]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b evezooの2020年3月19日11時49分のツイート- Twitter
  2. ^ “教員紹介 | ゲーム学科 | 芸術学部 | 東京工芸大学”. 2022年1月28日閲覧。
  3. ^ “役員|DiGRA JAPAN”. DiGRA JAPAN. 2016年9月19日閲覧。
  4. ^ “あの“ゲームの神様”遠藤雅伸氏がMMORPGに言いたい放題。「ドルアーガの塔」からケータイゲームまで,存分にどうぞ”. 4Gamer.net (2009年5月1日). 2014年5月29日閲覧。
  5. ^ a b マイコンBASICマガジン1984年2月号別冊付録・スーパーソフトマガジン スペシャルインタビューより。
  6. ^ “『ゼビウス』の生みの親・遠藤雅伸氏が『ポケモンGO』を斬る! VRを中心とした最新技術の話題も”. Game Deets. 2016年9月6日閲覧。
  7. ^ evezooのツイート(378343996793159682)
  8. ^ evezooのツイート(374705180031197184)
  9. ^ “「ゼビウス」がなければ「ポケモン」は生まれなかった!?———遠藤雅伸、田尻智、杉森建がその魅力を鼎談。ゲームの歴史を紐解く連載シリーズ「ゲームの企画書」第一回|電ファミニコゲーマー企画記事” (2016年2月8日). 2016年4月11日閲覧。
  10. ^ “”. web.archive.org (2020年9月12日). 2020年9月12日閲覧。
  11. ^ “”. web.archive.org (2020年9月7日). 2020年9月12日閲覧。
  12. ^ “ゲーム企画コンテスト「PERACON」炎上で謝罪 応募作品に「沈没するクソ会社に出すアプリ企画」など暴言”. ねとらぼ. 2020年9月12日閲覧。
  13. ^ - ウェイバックマシン(2001年7月8日アーカイブ分)
  14. ^ - ウェイバックマシン(2001年12月22日アーカイブ分)
  15. ^ “こんな遠藤、やっぱり松嶋菜々子が最高!”. 2ちゃんねる (2007年4月4日). 2015年5月19日閲覧。
  16. ^ “GyaOジョッキー『ドルアーガの塔』最終話”. 遠藤雅伸公式blog「ゲームの神様」 (2008年6月21日). 2015年1月7日閲覧。
  17. ^ なお、遠藤自身は『スーパーマリオブラザーズ』の制作者である宮本茂を表舞台に引っ張り出したくて京都任天堂まで行ったと語っている(週刊ファミ通 2008年6月13日号 岡本吉起の語って!チョーダイ!!より)
  18. ^ 太田出版「遠藤雅伸ロングインタビュー」『CONTINUE』第15号、2004年、ISBN (4872338529)。 
  19. ^ 「祝 細野晴臣・監修による魅惑の円盤 VIDEO GAME MUSIC 所謂音響記念碑的作品、堂々完成」『月刊ログイン』第3巻第5号、株式会社アスキー、1984年5月、66頁。 
  20. ^ “新人類の旗手たち--筑紫哲也の若者探検-1-遠藤雅伸 : 1985-04-19|書誌詳細”. 国立国会図書館サーチ. 国立国会図書館. 2021年2月21日閲覧。
  21. ^ 当項目は当初「ギャグは台本にあり、のちに講演などで持ちネタになった」と記載されていた。本人のブログ記事によって「ネット情報の不確かさ」および「Wikipediaの妄信」の例にあげられている(遠藤雅伸公式blog「ゲームの神様」/2009年5月25日分記事 テレビのこれからより)ように、本人ないしそれを知る人物によって修正されるも、荒らし扱いされ元に戻されたりしている。ただし、wikipediaのルールでは出典を伴わなければ戻されても仕方ない。
  22. ^ 大陸新秩序 (2010年5月6日). “MMORPG「ドルアーガの塔」を大フィーチャーした「遠藤雅伸のMGSラジオ~ドルアーガスペシャル~」の公開収録現場に行ってきた”. 4Gamer.net. 2021年2月21日閲覧。
  23. ^ 電波新聞社『オールアバウト・ナムコⅡ』(1994年5月25日発行)、213ページ、215ページ、254ページ。
  24. ^ 2009年度ハイパーホビー5月号

外部リンク

  • 遠藤雅伸 Official site (日本語)
  • 遠藤雅伸公式blog「ゲームの神様」 - Ameba Blog (日本語)
  • 遠藤雅伸 (@evezoo) - Twitter
  • 遠藤雅伸 (@endohmasanobu) - Instagram
  • 株式会社ゲームスタジオ (日本語)
  • - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分) []
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