来歴
千葉県生まれ[1]。第四高校を経て東京帝国大学法学部政治科卒業[2][3]。1920年 内務省に入省。長野県配属[2]。1931年 静岡県内務部地方課長[4]。1932年3月 富山県学務部長[5]。学務部長という職にありながら農村報徳運動の普及に力をそそぎ、飛行場建設にも幹事長として重要な役割を果たし、影のプロモーターといわれた[6]。1935年1月18日 埼玉県経済部長[7][1]。1937年7月 北海道経済部長[8]。1941年1月8日 岩手県(総務部長)を最後に内務省を退官[9]。1949年6月1日 地方自治庁次長。1955年 地方財政審議会委員(〜1967年10月12日)[3][10]。1979年6月14日 急性肺炎のため鎌倉市の病院で死去。
栄典
脚注
- ^ a b 『新編埼玉県史:近代・現代』1979年発行、20頁
- ^ a b 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、228頁
- ^ a b 第23回国会 参議院 議院運営委員会 第6号
- ^ 岡本博『二宮尊徳の政道論序説:報徳書獺祭記』岩田書院、2004年発行、58頁
- ^ 『明治・大正・昭和の鄉土史,第18巻』昌平社、1982年、111頁
- ^ 『富山県の昭和史』北日本新聞、1991年2月発行、54頁
- ^ 宇野俊一『近代日本の政治と地域社会』国書刊行会、1996年1月1日発行、153頁
- ^ 『埼玉県の百年』山川出版社、1990年、2頁
- ^ 『部長級異動は50余名 退職者3名』朝日新聞 1941年1月7日 朝刊、1頁
- ^ 第57回国会 参議院 議院運営委員会 第2号
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。