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近鉄8000系電車

近鉄8000系電車(きんてつ8000けいでんしゃ)は、近畿日本鉄道(近鉄)が保有する一般車両(通勤形電車)である。 本稿では、8000系の機器配分を見直した車両である8400系電車、新製冷房車の8600系電車、界磁位相制御の試験車である8800系電車についても記述する。また、8400系電車と同じ車体を持つ機器流用車である920系電車については近鉄1010系電車を参照

共通事項
基本情報
運用者 近畿日本鉄道
製造所 近畿車輛
製造年 1964年 - 1980年
製造数 355両
主要諸元
軌間 1,435 mm
電気方式 直流1,500V
架空電車線方式
最高運転速度 105 km/h
車体長 20,720 mm [1][2]
車体幅 2,800 mm [1][2]
全高 4,150 mm [1][2]
車体高 扇風機装備車:4,012mm [2]
ラインデリア装備車:4,017mm [3][4]
新製時冷房搭載車:4,040 mm [3][4]
車体 普通鋼 [2]
アルミニウム合金(8069F)[2]
主電動機出力 145 kW [1][2]
駆動方式 WNドライブ [2]
歯車比 5.31 [2]
制御装置 日立製作所製MMC制御器
制動装置 電磁直通ブレーキ (HSC-DまたはHSC-R)
抑速発電制動付)
保安装置 近鉄型ATS列車選別装置列車無線装置
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概要

1964年奈良線建築限界拡幅工事と(新生駒トンネル)経由の新線への切り替えにより、奈良線全線で20m級車両の運転が可能となったことから、それまで奈良線で使用されていた大軌時代の木造車(デボ1形)などの木造吊り掛け駆動車の置き換えとして製造された、車体長20m・側面両開き4扉の一般電車である[5][6]。構造は1961年に奈良線初の20m級一般電車として製造された900系を基本にしている[6]

4系列を合わせた広義の8000系の製造両数は355両、ベースとなった900系を含めれば379両に達し、また、8400系と同じ車体を持つ機器流用車920系 (後に1010系に改番)を含めると、394両に達し、近鉄においては最多両数を占めていた。

8000系

近鉄8000系電車
 
枚岡を通過する8000系8086F
基本情報
製造年 1964年 - 1980年
製造数 208両
主要諸元
編成 2・3・4両編成
台車 Mc車:KD-51/KD-64 [2]
M車:KD-51/KD-64/KD-86 [2]
T車:KD-51D/KD-64A [2]
Tc車:KD-51D/KD-64A [2]
主電動機 日立製作所HS-833Jrb [2]
三菱電機MB-3064AC [2]
定格速度 全界磁 41.5 km/h
制御装置 バーニア抵抗制御:VMC-HTB-20C [2]
(抵抗制御):MMC-HTB-20B[2]
界磁位相制御:MMC-HTR-20E [2]
備考 電算記号:E(2両)、B(3両)、L(4両)
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奈良線の輸送力増強のため、1964年7月から新生駒トンネルの開業に合わせて製造された[6][7]架線電圧1500V昇圧に際し900系を編入する予定があったため、モ8000形・ク8500形とも末尾21から番号が始まっている[1][* 1]

1964年から1966年製造の8021F(F=編成) - 8059Fまでは扇風機装備車として登場し[7]1967年から1969年製造の8060F - 8090Fはラインデリア(三菱電機製の補助送風機商品名)装備車で登場している[7]。本系列の大阪線版は扇風機装備車を2400系、ラインデリア装備車を2410系、名古屋線版は扇風機装備車を1800系、ラインデリア装備車を1810系、南大阪線版は扇風機装備車を6000系、ラインデリア装備車を6020系と他線区は系列を区別しているが、本系列はラインデリアの有無によって新たな系列を立ち上げず、同一形式・連番としている[7]

1964年に2両編成31本(62両)を製造し、以後編成単位では1969年まで、2両編成の3・4両編成化のための中間車は1980年まで製造され、計208両が製造された[5]。電算記号は2両編成がE、3両編成がB、4両編成がLとなっている[8]

車体

車体は900系を基本とし、裾を絞った全幅2800mm[1][2]。車体塗装は当初900系と同様、ベージュ色地に窓下に青色の帯を配した塗装であったが、数年でマルーンレッド一色に塗り替えられ[* 2]、1980年代後半からは現行のシルキーホワイトとマルーンレッドのツートンカラーに塗り替えられた。

走行機器

主要機器も900系を基本に製造当初より昇圧準備がなされており、駆動装置はWNドライブで、主電動機は日立製作所HS-833Jrbや三菱電機MB-3064AC (出力は各々145kW) が混在しており[1][2]、制御装置は日立製作所製(モーター4台制御)で各電動車に搭載した[2]

台車は近畿車輛製シュリーレン式で、8021F - 8068Fとモ8200形・サ8700形は金属バネ台車のKD-51系、8069F - 8090Fとモ8210形・サ8710形は空気バネのKD-64系を、モ8250形は新設計のKD-86を装着する[1][2]

集電装置はモ8000形・モ8200形ともに1968年度製造車以前は新製時2基であったが、1500V専用車として落成した1969年度製造車は1基で登場した。2基を搭載していた車両も、1972年以降に1基が撤去されている[9]が、冷房改造時に再度増設した車両もある。ただ、後述の8023Fは冷房改造まで1基分の撤去は実施されず、なかでもモ8203は2基のままで冷房改造されたため、新製時から廃車時までずっと2基であった。

ブレーキ(制動)方式はHSC-D (発電制動抑速制動付き) 電磁直通ブレーキである[2][10]。重量配分を均一にするため圧縮機電動発電機はT車(付随車)またはTc車(制御車)に搭載されている[6]

改造

冷房化

1974年には在来通勤車の冷房改造のトップを切って、本系列の8023Fに対して試作的に冷房化され[10]、8600系初期車に準じた冷房化を実施、10500kcal/hのCU-19形クーラー4基およびロスナイが設置された[* 3]。外観も8600系に準じた連続タイプのクーラーキセが取り付けられ、初期製造車の特徴であるベンチレーターも全て撤去したものであった[* 4]。ただ、改造コストなどの問題でこの8023Fの4両をもってその後の冷房改造は一旦中止されたことから、このタイプのクーラーキセによる改造は行われず[* 5]、内容を見直した上で1977年から1985年にかけて本格的に改造された[10]。こちらは8400系に見られるような分割タイプのキセとされ、また初期製造車はベンチレーターが一部残され、外観上の大きな特徴となった。

省エネ改造

1981年から一部編成に8800系をモデルにした界磁位相制御化と回生ブレーキ化を中心とする省エネ改造が行われた[10][6]。4両編成の場合、モ8000形(Mc)を電装解除してク8700形・ク8710形(Tc)、サ8700形・サ8710形(T)をモ8000形(M)に改造して界磁位相制御機器を搭載、モ8200形・モ8210形(M)とペアで1C8M化を行い、制御装置の統一化と制動装置の回生ブレーキ化を実施し、同時にモ8200形・モ8210形はパンタグラフ2基搭載とされた。また、2両編成の8070F・8071F・8076F - 8079Fは1980年に製造されたモ8250形と3両編成を組成し[6][10]、Mcとペアで1C8M化及び制動装置の回生ブレーキ化を実施した。モ8250形は当初より冷房化されて製造されたため、冷房改造車である他編成に比較して車体断面の屋根部分が高くなっており、下枠交差式を2基搭載して落成したため、Mc車のパンタグラフが撤去された。

車体更新

1983年から車体の内外装材交換および方向幕設置を中心とする車体更新が行われた。

B更新

1996年から2000年にかけて8069F以降に2回目の車体更新(B更新)が行われ、B更新時点では車体連結部の転落防止幌設置と座席のモケット交換は行われなかったが、後に8078F・8079F・8081F・8083F・8084F・8086F・8088F - 8090Fに車体連結部の転落防止幌設置、一部編成に座席のモケット交換が行われている。

廃車

全盛期は206両[5][6][* 6]だったが、2023年2月までに180両が除籍されている。

後述の爆破事件による8059Fの編入を除くと1996年に8022F・8024F・8031F・8032F・8033F・8034F・8035F・8039F[11]、1997年に8021F・8026F・8027F・8036F・8038F・8040F・8041F・8043F[11][12]、1998年に8023F・8025F・8028F - 8030F・8037F・8042F・8045F・8046F・8048F[12][13]が廃車となっており、この時点で4両編成の初期車は全廃となった。続いて1999年に8044F・8047F・8049F・8050F[14]、2000年に8054F・8055F・8057F・8058F・8064F・8068F[15]、2001年に8051F - 8053F・8060F・8061F・8065F - 8067F[15][16]、2002年に8056F・8062F・8063F[16][17]が廃車となっており、この時点で扇風機を装備した初期車とラインデリアを装備した4両編成のB更新未施工車は全廃となった。その後、2004年に8072F・8073F・8075Fが廃車となっており、2両編成は一旦全廃となった[18]が、2006年10月から11月にかけて8085F・8087Fの中間車がともに廃車となっており、2両編成に組成変更したため、復活した[19]。しかし、2014年7月に8085F・8087Fが廃車となっており、この時点で2両編成は再び全廃となった[20]。また、2005年にアルミ車体試作車と編成を組んでいた8074Fが廃車となった[21]。さらに、増結用の新製冷房車として落成した1980年製のモ8250形にも廃車が発生しており、2006年4月に3両編成車の8076F・8077F[19]、2010年8月に8070F・8071F[22]が廃車となった。2023年2月に8078F・8079Fが廃車され、2両・3両が全編成廃車された。残る4両編成7本は現役となっている[23]。全編成が東花園検車区に所属している[23]

ラインデリアを装備した4両編成のB更新車については前述の通り2004年に8072F・8073F[18]、2006年5月に8080F[19]、2009年1月に8082Fが廃車となった[24]

廃車後、発生した主電動機と台車がモト94・96の機器更新用、台車の一部が900系[25]1010系 (Tc車のみ) [26]、(2610系) (一部編成のTc車・T車のみ) [27]、(2000系) (一部編成のTc車のみ) [28]の台車更新用へ転用された。

2024年度、新型車両に置き換えられる予定である。

事件

8059Fは1972年8月2日に奈良線菖蒲池駅付近を走行中に爆破される未解決事件((近鉄奈良線爆破事件))で被災しており[5]、検証・復旧後の1976年に台車は空気ばねのKD-76系が新造され、モ8059はサ8167として8600系、ク8559はモ8459として8400系に編入された[5]

 
8000系8079F
モ8250形を組み込んだ3両編成
 
8000系8079F
モ8079号車とモ8279号車の連結部分によって車体の高さが異なっている。
 
8000系の車内
 
8000系8079F
モケット更新後のシート
 
8000系8079F
モケット更新後の優先座席

8000系アルミ車体試作車

近鉄8000系電車アルミ車体試作車
 
8074Fに組み込まれる以前の8069F(1988年)
基本情報
製造年 1968年
廃車 2005年
主要諸元
編成 6両編成
全高 3,970 mm [2]
台車 Mc車:KD-64[2]
M車:KD-64B[2]
Tc車:KD-64A[2]
T車:KD-64C[2]
定格速度 全界磁 41.5 km/h
制御装置 VMC-HTB-20C [2]
備考 M車・T車:アルミ車体
Tc車・Mc車:普通鋼車体
電算記号:L69
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8000系の内、1968年に製造した元8069F(モ8069-サ8720-モ8220-ク8569の4両)はアルミ車体試作車である[1][10]。電算記号はL69で、後述の6両化以降の編成記号は8074Fであった。

車体

普通鋼車同様の塗装 (登場当初はマルーンレッド1色、後にマルーンレッドとシルキーホワイトの2色) が施されているが[1]、前面隅や肩部のRが小さく角張ったスタイルと、車内灯の覆いがないことで、アルミの素材色は露出していなくともその判別は容易である。

当初はアルミの地肌のまま竣功させる案も存在したが、当時の奈良線の特急運用でマルーンレッドの編成と混結した場合の見た目の不調和を憂慮して塗装に変更された[29]。なお、この車体形状は後に登場したステンレスカー3000系や界磁チョッパ制御車(8810系)以降の車体設計の基本となっている。普通鋼製のモ8000の重量、約41 tに対し、モ8069では約35 tとなっている[2]

主要機器

アルミ車用に用意されたKD-64B・Cは通常のKD-64系台車と異なり、ボルスターアンカーが同一方向を向いているのが特徴で、同編成のみの特徴でもあった[30]

制御器はVMC型とされたが[2]、それ以外の走行機器は他の4両編成に準拠しており、パンタグラフの配置も同一となっている。

改造

冷房化と屋根構体の新製交換とパンタグラフの交換

1985年に冷房化の際、アルミ車全車に対して屋根構体の新製交換がなされ、同時にパンタグラフが(下枠交差型)に交換された。モ8069、モ8220ともに冷風改善のため、パンタグラフ寄りのクーラーの設置位置を車端側に移した影響で、他の8000系パンタグラフ搭載車よりもその搭載位置を車端側へと移動した。また、モ8220はパンタグラフを2基に増設可能なようにクーラー配置位置も同形他車とは大幅に変更されている。クーラーキセの形状も車体形状の差異から他車に比べ、やや薄い形状のものが使用され、モのパンタグラフ寄りのキセについても上記の理由により、他車のものに比べ、やや長いものが使用されるなどしていた[31]

組成変更

1989年の大阪線に合わせた連結器のかさ上げ工事では改造対象とはならず、8074F(2両)に挟まれて6両編成を組成した[1][* 7]

B更新

1999年に2回目の車体更新(B更新)が施工され、モ8069・ク8569が運転台の撤去により、中間車化がなされ、同時にクについてはサ8569と形式が変更されたほか、列車無線アンテナやスカートが撤去されたものの、外観は先頭車時代と何らかわらなかった。

廃車

2005年12月14日に高安検修センターへ回送され、廃車[1][21]解体された。

8400系

近鉄8400系電車
 
近鉄8400系8407F
基本情報
製造年 1969年 - 1972年
製造数 80両
主要諸元
編成 2・3・4両編成
台車 Mc車:KD-64/KD-73[4]
T車:KD-64A[4]
M車:KD-64/KD-73/KD-76B[4]
Tc車:KD-64A/KD-73A[4]
主電動機 日立製作所HS-833Krb[3]
三菱電機MB-3064AC[3][4]
制御装置 抵抗制御(2両)
型式:MMC-HTB-20B[4]
界磁位相制御(3・4両)
型式:MMC-HTR-20E [4]
備考 電算記号:E(2両)、B(3両)、L(4両)
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1969年、奈良線600Vから1500Vへの昇圧直前に製造開始され、1972年までに55両(8000系からの編入車1両(後述)を含む)が製造された[3][33]。8000系とほぼ同形であるが、3両または4両編成を基本とするため[3]、機器配分を見直して電動発電機とコンプレッサーを4両分の大容量のものに変更している[34]。車体は8000系後期形(60番台以降)と同一で空調装置もラインデリア装備。電算記号は2両編成でE、3両編成でB、4両編成でLとされた[8]。大阪線の2430系の奈良線版である。

主要機器・性能

性能面では8000系後期形(60番台以降)と同様で、駆動装置や制御装置、制動方式も同系後期型に準拠し、主電動機も日立製作所HS-833Krbと三菱電機MB-3064AC(出力は共に145kW)が混在している[2]台車も8000系70番台以降と同様のKD-64系が採用されているが[2]1971年に製造された3両編成の8412F - 8414Fとモ8400形モ8415の10両は新造品の金属バネ台車(M車はKD-73、T車はKD-73A)を装備する[2]

集電装置は2両編成はモ8400形の連結側に1基、3両編成はモ8450形に2基、4両編成はモ8450形とモ8400形に各1基装備した[35]。なお新製時(非冷房時代)は2・4両編成はそれぞれモ8450形とモ8400形に各2基、3両編成はモ8450形とモ8400形の運転台側に各1基装備されていた。

電動発電機とコンプレッサーはク8300形にそれぞれ装備し、4両分の補給能力を持たせて集約搭載している[34]

改造

組成変更

製造時、8409Fは2両編成であったが、1972年に発生した8000系ク8500形ク8559(爆破被災車)を1976年に復旧させたモ8459と3両編成を組成した[3][7][* 8]。モ8459は現在奈良線所属車で唯一の扇風機装備車であり、蒲鉾型ベンチレーターが付いている車両でもある。台車は種車の金属ばね台車ではなく、8600系のKD-76を改良したKD-76B形空気ばね台車が新造された[4]。モ8459はサ8167と異なり、2つの窓ガラスがサッシを共有せず独立して取り付けられている。運転台側に繋がるモ8400形モ8409は切妻を幅狭貫通路に改造されたが、室内側は幅広・両開扉のままの状態となっている。

製造時、モ8400形モ8415・モ8417は単独Mc車であったが、モ8400形モ8415は8416Fの製造時にモ8450形モ8465・ク8300形ク8315が新造されて3両編成を組成し、モ8400形モ8417は2両編成の8411Fに連結されて8417 + 8411 - 8311の3両編成で運用されていたが、冷房化の際にモ8450形モ8411は運転台撤去車として中間車化改造の上でモ8450形モ8461、モ8400形モ8417はモ8400形2代目モ8411に改番が行われ、3両1ユニット化された。

冷房化と回生ブレーキ化

1978年から1985年にかけて順次冷房化[3][34][33]と前面の方向幕設置が行われ、8404F・8405F・8408Fのパンタグラフが下枠交差式に交換され、8401F - 8404F・8406F - 8409F・8411F - 8416Fに1C8M・回生ブレーキ化による改装が行われ[33]、4両編成では制御電動車モ8400形から制御車ク8350形への電装解除ならびに、サ8350形から中間電動車モ8400形への電装化などの中間電動車ユニットへの改装とモ8450のパンタグラフ集約が行われ、3両編成では制御電動車モ8400形は存置されたものの、主制御装置のモ8450形への集約化に伴う機器配置変更による界磁制御装置の搭載の改装とモ8450のパンタグラフ集約が行われた。

ラインデリア車については他線の車両と同様に屋根が低い分、冷房装置室外機の背が高い。この内、8403F・8404Fの4両編成2本は、回生ブレーキ化された時にはすでに冷房改造後であったため、制御電動車であるモ8400形モ8403・モ8404の電装解除および制御車化を実施したおりには装備していたパンタグラフも撤去されたが、この電装解除車であるク8350形ク8353・ク8354の冷房装置およびクーラーキセ配置はモの時代そのままとされたため、後位寄りのクーラーキセ配置が前寄りのままとなっているなど、他のク8350形とは異なっている。また、8405Fに組み込まれているモ8450形モ8455は抵抗制御と発電制動式のまま冷房化が行われたため、パンタグラフが1基のみ設置[* 9]され、冷房装置の配置変更、分割形クーラーキセの設置など[* 10]、他のモ8450形とは違うものとなっていて[* 11]、趣を異なるものとしていた[* 12]

ワンマン対応改造

1992年から1993年にかけて3両編成7本に足踏み式デッドマン装置と車内自動放送装置とドアブザーの設置とドア制御装置の変更などを中心とする田原本線ワンマン運転対応改造が行われた[7]

車体更新

1986年から1993年にかけて内外装材の交換と側面の方向幕設置などを中心とする車体更新が行われた[7]

B更新

1997年から2003年にかけて2回目の車体更新(B更新)が行われ、後に8402F - 8404F・8406F - 8409F・8411F - 8416Fに車体連結部の転落防止幌設置、一部編成に座席のモケット交換が行われている。

廃車

2022年までに13両の車籍抹消が発生している。2004年8月に8401Fが廃車された。2006年11月には8405Fの中間車が廃車されて2両編成化され[19][* 13]2012年6月に8405Fの残ったTc車 - Mc車の2両編成が廃車された[36]2014年5月に8410Fが高安にて廃車解体された[20]2022年11月に8416Fが高安から廃車陸送された[37]

2022年11月19日現在、4両編成6本24両と3両編成6本18両の計42両が在籍する[23]。4両編成は東花園検車区、3両編成は西大寺検車区に配置されている[23]

アートライナー

  • 8409F:初代600系復刻塗装(2018年7月18日営業運転開始[38] - 2022年3月31日)
    • 2018年4月26日に田原本線が開業100周年を迎えるにあたって、記念事業の一環として当時の600系を模したダークグリーンへの塗装変更が行われたものである[38]
  • 8414F:820系復刻塗装(2018年4月1日営業運転開始[39] - 2022年3月31日)
    • 2018年4月26日に田原本線が開業100周年を迎えるにあたって、記念事業の一環として当時の820系を模したマルーンレッドに銀帯を施した塗装への変更が行われたものである[39]。2編成とも復刻塗装車としての運行を終了した。
 
モ8450形モ8459
8000系8059F(爆破被災車)のク8500形ク8559を中間車化・編入した車両
 
モ8450形モ8461
初代モ8450形モ8411を中間車化・改番した車両
モ8450形モ8459とは窓枠が異なる。
 
8414F
コイルばね台車(KD-73/KD-73A)を装備した3両編成
 
モ8450形モ8459の車内
 
田原本線開業100周年復刻塗装車(8409F)
 
田原本線開業100周年復刻塗装車(8414F)

8600系

近鉄8600系電車
 
近鉄8600系8606F
基本情報
製造年 1973年 - 1979年
製造数 85両+車籍編入車2両
主要諸元
編成 4・6両編成
台車 KD-76 [3][4]
主電動機 MB-3064-AC [3][4]
制御装置 抵抗制御
型式:MMC-HTB-20C [3][4]
界磁位相制御
型式:MMC-HTR-20E[4]
備考 電算記号:X(50番台)
(テンプレートを表示)

8400系をベースに登場時から冷房装置を取り付けた車両で、1973年から1979年にかけて4両編成20本、6両編成1本の計86両(8000系からの編入車1両(後述)を含む)が製造された[3]。電算記号はX(50番台)[40]。大阪線・名古屋線の2800系、南大阪線の6200系の奈良線版である。

車体

冷房搭載に伴い、屋根の形状が変更され、8400系に比較して高く丸くなっている[3][41]。本系列は当初より正面の貫通ドア上部に方向幕を設置し[3][41]、以降の通勤車に標準装備されたほか、在来車にも取り付けられていった。この関係で8619Fまでの車両では大型運行標識板取付ステーが省略され、方向幕故障時には乗務員室の車掌台側前面ガラスからその標識板を掲示していた。冷房装置は10500kcal/hの集約分散型が1両あたり4台設置され、熱交換形換気装置(ロスナイ)を搭載して連続したクーラーキセに納められた[41]。前面の排障器も新製時から装備している[41]

主要機器・性能

性能面では8400系と同様で、駆動装置や制御装置、制動方式、補機類の配置も同系に準拠するが、本系列では主電動機は三菱電機製MB-3064-AC型 (145kW) に統一されている[3][41]。台車は新設計の近畿車輛製KD-76形空気バネ台車が採用されている[3][4]。集電装置はひし形式PT-42型をモ8650形に2基、モ8600形の連結側に1台装備した [42]。制動方式はHSC-D型(発電・抑速制動付き)である[4]

 
近鉄8600系菱形パンタグラフ

増備車

増備途中から設計変更が見られ、初期車の8601F - 8610Fはラインデリアを装備しておらず、1985年に扇風機を設置、後にローリーファンに交換されている。1976年製造の8614F以降は座席のひじ掛けが大きく湾曲したものに変更され、2800系と同一の座面の低い奥行きの広くしたものとされた。1976年に製造された8617Fは2両編成で登場したが、中間車の増備と車両組み換えですぐに4両編成を組成した(後述)。

1978年に登場した8619Fは唯一新造時から6両編成を組成して落成し[* 14]、サ8150形サ8170に電動発電機とコンプレッサーが搭載され、モ8600形モ8620とク8100形ク8120の先頭車は存在しないため、欠番となった。さらに、同編成以降の車両ではブレーキ装置に除湿装置が標準装備となった。

1979年製造の8621F・8622Fは冷房効率を高めるためにラインデリアが併用され、パンタグラフは下枠交差式を採用し、当時まだ存在していた大型運行標識板取付ステーも復活した。

改造

組成変更

製造時、8617Fは2両編成であったが、1972年に8000系モ8000形モ8059(爆破被災車)を1976年に復旧させたサ8167と新造のモ8650形モ8667と4両編成を組成した[* 15]。その後、2014年10月に8617Fは先述のB更新の際に車齢の高いサ8167を脱車し、1010系モ1010形モ1062(火災および発煙被災車)を同年施工のB更新車に準拠した再度の車体更新とワンマン機器撤去と電装解除の上、改番したサ8177と編成を難波・京都寄りからモ8617 + サ8177 + モ8667 + ク8117に組み換えて引き続き4両編成を組成した[20]

回生ブレーキ化

1982年に8601F - 8603F・8612F[* 16]の4編成が後述の8800系に準じた界磁位相制御に改造されたが[33]、車体重量の重い新製冷房車[* 17]への省エネ効果が高くなかったため、追加改造は行われなかった。改造された4編成は制御電動車モ8600形が電装解除の上でク8150形[* 18]、付随車サ8150形が中間電動車化改造の上でモ8600形に改番が行われ、8150形と8600形の番号が入れ替わった[41]

車体更新

1993年から1999年にかけて全編成に車体側面の方向幕設置を中心とする車体更新が行われた[7]

B更新

2002年から2019年7月にかけて全編成に車体の外装材および車内の内装材交換と車体連結部の転落防止幌設置を中心とする2回目の車体更新(B更新)が行われた。2009年以降のB更新車ではモ8600形連結側車端部の車椅子スペース設置が行われ、2016年以降のB更新車では2610系2627Fと2800系2817Fに準じた新仕様の内装デザインに変更されており[44]、座席モケットは一般席がグレー、優先席はオレンジを基調としたデザインに背面部分には黒色のラインを追加したものとされ[44]、化粧板は妻面や側面扉は黒色を基調として側面窓部分は白色を基調とし[44]、床面は茶色を基調にドット柄で構成された新仕様とされ[44]、つり革は従来の丸型で存置されているが、優先席部分は2610系2627Fと2800系2817Fと同様の三角形にオレンジ色のつり革に交換され[44]、乗降口付近の枕木方向につり革を増設し[44]、各車両優先席部分には床面表示を追加して一般席との区別を容易とし[44]、車端部の6人掛け座席と扉間の7人掛け座席中央部にスタンションポールを追加して安全性を向上させ[44][* 19]、側面扉端部に黄色テープを配して床面には黄色を基調とした耐摩擦仕様のものを配して視認性を向上させ[44]、8621Fのサ8150形サ8171では奈良寄りの妻面が塞がれた。

パンタグラフの交換

2017年に定期検査で出場した8619Fのモ8650形モ8669のパンタグラフが下枠交差式に交換された。

廃車

2014年に8617FのB更新で施工対象とされなかったサ8167(8000系8059F(爆破被災車)のモ8000形モ8059)は編成から外され、7月23日付で車籍抹消の後に廃車解体された[20]。2020年4月時点では本系列の車籍抹消はこの1両のみである。

2020年4月1日現在、4両編成20本と6両編成1本 (86両) が在籍している[23]。6両編成は西大寺検車区、4両編成は東花園検車区に配置されている[23]

 
近鉄8600系8621Fの車内
 
近鉄8600系8606F
B更新後の車内
 
サ8167
8000系8059F(爆破被災車)のモ8000形モ8059を中間車化・編入した車両(転落防止幌設置後の姿)
 
近鉄8600系初期車の天井に設置されたローリーファン
 
サ8177
サ8150形とは窓配置が前後逆になっているほか、車体断面が異なる。
 
サ8177(右側の車両)
左側に連結されているモ8600形モ8617より屋根が低くなっている。
 
モ8617のパンタグラフを撤去した跡。
他の同系車両は運転席の扉の上部までクーラーキセが設置されているが、この車両はパンタグラフ撤去後もそうなっていない。
 
近鉄8600系8622F車内のB更新後の様子
 
近鉄8600系8622F車内のB更新後のロングシート
真ん中にスタンションポールがついた。
 
近鉄8600系8622F車内のB更新後の優先座席
 
近鉄8600系8622F車内のB更新後の連結部の扉
黒を基調にしている。
 
近鉄8600系8622F車内のB更新後の客用扉
黒を基調にしている。

8800系

近鉄8800系電車
 
近鉄8800系 8804F(FL04)
基本情報
製造年 1980年
製造数 2編成8両
主要諸元
編成 4両編成
台車 KD-86[4]
主電動機 MB-3064-AC [45][4]
編成出力 1140kW
制御方式 界磁位相制御
制御装置 日立製作所 MMC-HTR-20E [45][4]
備考 電算記号:FL
(テンプレートを表示)

既存抵抗制御車の省エネ改造のモデル車両として、8600系をベースに制御方式を界磁位相制御に変更して製造されたのが8800系である[45][46][47]。試験的な意味合いから1980年の4両編成2本のみの製造にとどまり[45][48]、その後は車体の形状と制御装置を大幅に変更した(8810系)に引き継がれる。したがって、6800系から約23年続いた、丸みを持たせた近鉄型通勤車スタイルの最終車両といえる[45]。本系列に相当する大阪・名古屋・南大阪線車両は存在しない。電算記号はFL(FL02・FL04)[49]

車体

外観は8600系8621F・8622Fに類似するが、車内の貫通扉がすべて片開き式(従来は一部両開き式)であり、下枠交差式パンタグラフを2基(8621F・8622Fは3基)搭載している点で異なる[* 20]

さらに後述の車体更新による側面の行先表示機設置までは、側面の行灯式種別表示の視認性を向上させるべく、表示部分の肩部の傾斜がないように車体断面を若干垂直に変更した点でも8600系とは異なっていた[46]

主要機器

奈良・京都線では初の1C8M方式としてMMユニット方式が採用され[46][48]、電動発電機の出力電流で界磁を制御する界磁位相制御方式による回生ブレーキが採用された[46][48]。しかし、主要機器は従来車に準じており併結が可能である。台車は新設計のKD-86が採用された[45]

本系列をモデルとして920系(現:1010系)、1000系の高性能化ならびに、8000系、8400系、8600系の一部編成で1C8M方式MMユニット化・回生ブレーキ化が実施されている。

改造・車体更新

1999年には内外装材交換、雨樋の設置、側面方向幕の設置などを中心とする車体更新工事が行われ、後年には車体連結面に転落防止幌が設置された。

2018年から2020年にかけて本系列のB更新が行われた[50]。更新内容は8600系8621F・8622Fと同一で、ク8900形偶数車の車椅子スペース設置が行われている[50]

廃車

2020年4月現在、本系列に廃車は発生しておらず、全車が東花園検車区に配置されている[23]

 
近鉄8800系電車の車体更新後の車内
 
近鉄8800系電車の車体更新後の車端部
 
近鉄8800系電車の車体更新後のロングシート
 
近鉄8800系電車の車体更新後の優先座席

運用

当初は奈良線のみに投入され、初期の頃は8000系と8400系は主に(奈良線特急)で運用された。1968年に京都線の建築限界拡幅工事完成に伴い京都線で、1970年には新たに開業した難波線で、1973年には建築限界拡幅工事の完成した橿原線天理線でも運用開始された。1983年からは生駒線での運用も開始され、1992年からは8400系がワンマン運転対応に改造され田原本線に入線している[* 21]

3両編成車
  • 8400系8409F・8411F - 8415F

全編成が踏面清掃装置を装備するため編成単独で運用可能ではあるが奈良線系統では田原本線を除き、3両編成単独での運用は存在しないためこれらを2編成連結した6両編成で運用されており、通常では原則として8000系は8000系同士、8400系は8400系同士で連結して運用されている。

  ※8000系8078F・8079Fは現在西大寺車庫にて休眠中

奈良線では大阪難波駅折り返しの急行 - 普通列車で運用されており、京都線では急行を中心に京都駅 - 新田辺駅間の準急・普通列車で運用されている。6両編成単独および他形式連結の8両・10両編成で運用する列車もある。6両固定編成の8600系8619Fと共通で運用されている。

ワンマン運転対応の8400系8409F・8411F - 8415Fは単独編成で田原本線でも運用されている[7]。2001年3月から2003年3月までの2年間は、8000系共々生駒線でも日中時間帯に3両単独で運行されていた時期があったが、こちらは車掌乗務であった。

4両編成車
  • 8000系8081F・8083F・8084F・8086F・8088F - 8090F
  • 8400系8402F - 8404F・8406F - 8408F
  • 8600系8601F - 8618F・8621F・8622F
  • 8800系8802F・8804F

単独編成で京都線や橿原線、天理線の普通列車で運用されている他に、他形式連結の6両 - 10両編成で京都線急行や奈良線大阪難波駅折り返しの快速急行 - 普通列車で運用されている。ワンマン改造は施工されておらず、2018年現在ではダイヤ混乱時の代走を除いて生駒線で運用されていないが、900系の大多数が奈良線系統の運用に戻されてからワンマン運転開始前までは8000系60番台編成を中心に抵抗制御の編成がほぼ専属的に運用に就いていた[25]

6両編成車
  • 8600系8619F

6両固定編成であるため、京都線では急行運用が大半であるが、京都駅 - 新田辺駅間の準急・普通列車での運用も存在する。奈良線では大阪難波駅折り返し列車に限定して、列車種別や編成両数を問わずに幅広く運用されている。8000系・8400系の3両編成を2本連結した6両編成と共通運用となっている。

過去の運用

2両編成車 (2014年消滅)
  • 8000系8031F - 8058F・8060F・8075F・8085F・8087F
  • 8400系8405F・8410F

主に他編成と併結した4両 - 10両編成で京都線系統の急行 - 普通列車や奈良線大阪難波駅 - 近鉄奈良駅間の快速急行 - 普通列車で運用されていた。6両編成の不足時では3 - 5編成連結した6 - 10両編成で運用する事もあった。最後期は8000系8085F・8087Fと8400系8410Fの6両が在籍していた[20]

3両編成車
  • 8000系8070F・8071F・8076F・8077F
4両編成車
  • 8000系8021F - 8030F・8061F - 8068F・8072F・8073F・8080F・8082F
  • 8400系8401F
6両編成車
  • 8000系8074F

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 900系モ901 - 912をモ8001 - 8012、ク951 - 962をク8501 - 8512とする計画であった。そのため、モ8001 - 8020、ク8501 - 8520は欠番になっている。
  2. ^ モ8000形8069以降、モ8200形8211以降、ク8500形8569以降、サ8700形8711以降は新製時よりマルーンレッド一色で登場した。
  3. ^ 当初ラインデリアは非設置だったが、1985年に実施された車体更新時に同時に設置工事が行われた。
  4. ^ ラインデリア非装備車であり、平屋根でなかったことから、外観においては他の冷房化改造がなされた車両と趣を異にし、8600系とほぼ同様の見かけとなっている。ただし、冷房装置等の配置ならびにクーラーキセの形状には、細かな部分では違いがみられる。
  5. ^ なお、この時用意されていた以後の冷房改造の機器は余剰となったが、これらのうち一部は10400系の冷房装置の更新に転用された。そのため、この形状のクーラーキセとKD-51系の金属ばね台車を装備したものとの組み合わせは新造車での2610系ク2710形・サ2760形の一部の旧型車台車KD-49C流用のものを除けば、近鉄の車両としては唯一のものとなった。
  6. ^ 製造されたのは208両だが、モ8250形が登場したとき、8059Fはすでに他形式編入されていた。
  7. ^ 6両編成を組成するにあたってそのままではMc-Mc-T-M-Tc-Tcとなるため、難波側からモ8074 (Mc) + サ8720 (T) + モ8220 (M) + ク8569 (Tc) + モ8069 (Mc) + ク8574 (Tc) の6両編成としてモ8069とク8569が向かい合うように組成されている[32]
  8. ^ 登場時、モ8459は8000系ク8500形ク8559(爆破被災車)の運転台撤去と中間電動車化改造と方向転換と改番が行われた運転台撤去車のため、運転台側の連結面が丸みを帯びている。
  9. ^ 回生ブレーキ車はパンタグラフを回生失効に備え、2基装備とされていた。
  10. ^ そのため、回生ブレーキ化が行われるためには、冷房装置の配置を変更・移設するための改造が必要なため、その改造の対象からは外された。
  11. ^ 8000系ク8500形ク8559(爆破被災車)を改造編入したモ8450形モ8459を除く。
  12. ^ 形態としては、8000系ラインデリア車の発電制動冷房改造車のモ8200形と同様。
  13. ^ 唯一のサ8350形として残存していたこのサ8355の廃車により、8400系からはサ8350形が形式消滅した。8405Fの2両編成化以前は8410Fが8400系で唯一の2両固定編成であった。
  14. ^ 難波方からモ8619 + サ8169 + モ8670 + サ8170 + モ8669 + ク8119という編成とした[42][43]
  15. ^ 登場時、モ8600形モ8617は集電装置が2基搭載されていたが、4両編成を組成する際にモ8617(爆破被災車)の運転台側パンタグラフは撤去されたため、運転台側にパンタグラフ台の痕跡が残置されている。
  16. ^ 8612Fの元モ8612の主制御装置は8000系モ8000形モ8059(爆破被災車)より転用されたVMC式のため、改造の対象となった。なお、他の8600系抵抗制御車の制御装置はMMC式である。
  17. ^ 当初から界磁位相制御方式の新製冷房車として製造された8800系および8000系モ8250形を除き、新製冷房車で界磁位相制御へ改造されたのは8601F - 8603F・8612Fの他に名古屋線1000系1002Fが存在する。
  18. ^ ク8150形は電動車時代の名残として屋根上のクーラーキセの配置がパンタグラフ搭載時のままの分割された状態を残しており、外観上の大きな特徴となっている。
  19. ^ スタンションポールの設置によって扉間の7人掛け座席6区画については6人掛け座席に変更されており[44]、1人あたり座席幅が従来の430mmから約501.7mmに拡大された(車端部の6人掛け区画は約466.7mmのまま据え置き)。またMc車の車椅子スペース整備で撤去された3人掛け座席1区画を含めた座席定員は4両全体で27名減少している[44]
  20. ^ ただしモ8800形奇数車は、モ8671・モ8672とは違い、パンタグラフ搭載位置が若干車端側に寄せられている特徴がある。
  21. ^ ただし、田原本線の大型車導入自体は1990年7月1日に実施され、この時は8000系の3両編成車も運用されていた。 - 交友社「鉄道ファン」1990年10月号 POST欄

出典

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  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 三好好三『近鉄電車』p.84
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 飯島・藤井・井上『復刻版 私鉄の車両13 近畿日本鉄道II』p.170-171
  5. ^ a b c d e 三好好三『近鉄電車』p.82
  6. ^ a b c d e f g 飯島・藤井・井上『復刻版 私鉄の車両13 近畿日本鉄道II』p.68
  7. ^ a b c d e f g h i 諸河久・山辺誠『日本の私鉄 近鉄2』p.65
  8. ^ a b 三好好三『近鉄電車』p.230
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  11. ^ a b 鉄道ピクトリアル1997年10月臨時増刊号「新車年鑑」186頁
  12. ^ a b 鉄道ピクトリアル1998年10月臨時増刊号「新車年鑑」210頁
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  14. ^ 鉄道ピクトリアル2000年10月臨時増刊号(No.692)『新車年鑑 2000年版』200 - 201頁
  15. ^ a b 鉄道ピクトリアル2001年10月臨時増刊号(No.708)『新車年鑑 2001年版』183頁
  16. ^ a b 鉄道ピクトリアル2002年10月臨時増刊号(No.723)『鉄道車両年鑑 2002年版』196 - 197頁
  17. ^ 鉄道ピクトリアル2003年10月臨時増刊号(No.738)『鉄道車両年鑑 2003年版』216 - 217頁
  18. ^ a b 鉄道ピクトリアル2005年10月臨時増刊号(No.767)『鉄道車両年鑑 2005年版』226 - 227頁
  19. ^ a b c d 『鉄道ファン』2007年9月号 交友社「大手私鉄車両ファイル2007 車両配置表&車両データバンク」
  20. ^ a b c d e 『鉄道ファン』2015年8月号 交友社「大手私鉄車両ファイル2015 車両データバンク」
  21. ^ a b 鉄道ピクトリアル2006年10月臨時増刊号(No.781)『鉄道車両年鑑 2006年版』216 - 217頁
  22. ^ 『鉄道ファン』2011年9月号 交友社「大手私鉄車両ファイル2011 車両データバンク」
  23. ^ a b c d e f g 交友社鉄道ファン』2019年8月号 Vol.59/通巻700号 付録小冊子「大手私鉄車両ファイル2019 車両配置表」(当文献にページ番号の記載無し)
  24. ^ 『鉄道ファン』2009年9月号 交友社 「大手私鉄車両ファイル2009 車両配置表&車両データバンク」
  25. ^ a b 諸河久・山辺誠『日本の私鉄 近鉄2』p.67
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  27. ^ 鉄道ピクトリアル2018年12月臨時増刊号(No.954)『近畿日本鉄道』237 - 238頁
  28. ^ 鉄道ピクトリアル2018年12月臨時増刊号(No.954)『近畿日本鉄道』233 - 234頁
  29. ^ 『鉄道ピクトリアル』1969年1月号 電気車研究会 No.219 p.20
  30. ^ サイドビュー近鉄.2(レイルロード発行)の同車側面写真からも、他車との比較が容易である。
  31. ^ サイドビュー近鉄.2(レイルロード発行)に詳しい。
  32. ^ 諸河久・山辺誠『日本の私鉄 近鉄2』p.150
  33. ^ a b c d 諸河久・山辺誠『日本の私鉄 近鉄2』p.64
  34. ^ a b c 飯島・藤井・井上『復刻版 私鉄の車両13 近畿日本鉄道II』p.64
  35. ^ 飯島・藤井・井上『復刻版 私鉄の車両13 近畿日本鉄道II』p.161
  36. ^ 『鉄道ファン』2013年8月号 交友社「大手私鉄車両ファイル2013 車両データバンク」
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  41. ^ a b c d e f 飯島・藤井・井上『復刻版 私鉄の車両13 近畿日本鉄道II』p.60
  42. ^ a b 飯島・藤井・井上『復刻版 私鉄の車両13 近畿日本鉄道II』p.162
  43. ^ 諸河久・山辺誠『日本の私鉄 近鉄2』p.149
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  45. ^ a b c d e f 三好好三『近鉄電車』p.86
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  47. ^ 諸河久・山辺誠『日本の私鉄 近鉄2』p.62
  48. ^ a b c 諸河久・山辺誠『日本の私鉄 近鉄2』p.63
  49. ^ 三好好三『近鉄電車』p.231
  50. ^ a b 交友社鉄道ファン』2019年8月号 Vol.59/通巻700号 付録小冊子「大手私鉄車両ファイル2019 車両データバンク」(当文献にページ番号の記載無し)

参考文献

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  • 諸河久・山辺誠『日本の私鉄 近鉄2』(カラーブックス)、保育社、1998年。(ISBN 4-586-50905-8)
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  • 関西鉄道研究会『関西の鉄道』1985年 新春号
  • 交友社鉄道ファン
    • 付録小冊子「大手私鉄車両ファイル 車両配置表&車両データバンク」2007年9月号 - 2019年8月発行号
    • 2016年11月号 Vol.56/通巻667号 特集「近畿日本鉄道 内装デザイン変更車両」p.56 - p.57
    • 2018年7月号 Vol.58/通巻687号 POST欄 p.145

外部リンク

  • 近鉄公式サイト 鉄路の名優


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