賢宜帝姫(けんぎていき、1082年2月9日 - 1085年11月6日)は、北宋の神宗の八女。哲宗の同母妹で、母は昭容朱氏(後の欽成太后)。同母姉は賢康帝姫。同母妹は賢静帝姫。
経歴
元豊5年(1082年)1月に生まれた。元豊8年(1085年)3月、父の神宗の崩御を知り、深く哀悼したという。4月、兄の哲宗により沂国長公主に封ぜられた。10月、病没した。祖母の宣仁太后は朝廷を3日間停止した。その後、鄧国長公主の位を追贈された。元祐9年(1094年)、崩じた宣仁太后の柩に従って、祖父の英宗の永厚陵に従葬された。
元符3年(1100年)3月、弟の徽宗により邠国長公主の位を再追贈された。政和4年12月(西暦で1115年)、賢宜長帝姫の位を再追贈された。
伝記資料
- 『宋史』
- 『宋会要輯稿』
- 『故鄧国長公主追封記』