豊川任氏(プンチョンニムし、朝鮮語: 풍천임씨)は、朝鮮の氏族の一つ。本貫は黄海南道クァイル郡である。2015年の調査では、143,881人である[1]。
始祖は、中国紹興出身で、高麗に渡来した任温である。任温は、忠烈王時代に慶尚道按察使、朝奉大夫、監門衛大将軍を歴任した。
任温の6代子孫の(任澍)が、黄海道豊川に定住、豊川任氏を創始した。豊川任氏はのち、北人派の代表的な家門として挙げられる。
人口分布と集姓村
脚注
参考文献
- “임씨(任氏) 본관(本貫) 풍천(豊川)”. (한국족보출판사). オリジナルの2022年11月30日時点におけるアーカイブ。
- 金光林 (2014年). (英語) (PDF). Journal of cultural interaction in East Asia (東アジア文化交渉学会): p. 21. オリジナルの2016年3月27日時点におけるアーカイブ。
- 糟谷憲一『李朝後期の権力構造の歴史的特質 : 門閥と党派』日本評論社〈一橋論叢 115 (4)〉、1996年4月1日 。