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谷口 篤史(たにぐち あつし、1963年12月10日[3] - )は、山陰放送 (BSS) のテレビディレクター[4][5]、テレビプロデューサー[6]、同局の元アナウンサー。
来歴
大学を卒業後、1988年に山陰放送に入社[3]。アナウンサー時代には、テレビとラジオの双方に出演。同局アナウンサーの桑本充悦や山根伸志と同様に、報道番組への出演時以外には名前をひらがなにした谷口 あつし名義で活動していた。
2014年春、13年間司会を務めた『土曜日の生たまご』を卒業。そのリニューアル版である『生たまごBang!』には、スタッフの1人として携わることを山陰放送公式サイト内のアナウンサー日記で公表した[7]。これ以後はテレビ番組の制作が活動の中心になっているが、その後もスポーツ中継を担当したりとアナウンス業務には引き続き携わっていた[1]。
担当番組
テレビ番組
- ビッグモーニング(TBS) - 中継リポーター
- おはようクジラ(TBS) - 中継リポーター
- 土曜日の生たまご(2001年 - 2014年) - 司会
- 生たまごBang!(2014年 - ) - ディレクター、プロデューサー[4][6]
- 週刊とり☆リンク - 制作担当[2]
- テレポート山陰 - 「山陰イマ人」制作担当[8]
- BSSニュース
ラジオ番組
- 谷口あつしのフライデーアクション
- 拝啓花のOL様、お願い!谷口あつしです
- ビートフル・ワールド〜洋楽専科〜
- 谷口あつしの青春エキスパート
- 谷口あつしのサウンドシアター
- ラジオでキャッチ(1992年 - 1993年)
- 谷口あつしのSun Young Hot Wave → 谷口あつしのひみつのHigh School[9]
- ご近所わいど 今日もハレルヤ!(2000年 - 2001年、2004年 - 2005年)
- 谷口あつしのRADIO☆MONDAY(2006年 - 2010年)
- 因幡スピリット!(2010年)[10][11]
- BSSニュース
脚注
- ^ a b “”. 山陰放送. 2016年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月2日閲覧。
- ^ a b 谷口あつし (2015年1月6日). “あけましておめでとうございますm(_ _)m”. アナウンサー日記・谷口 あつし. 山陰放送. 2021年4月2日閲覧。
- ^ a b c 「全国アナウンサー/キャスター名鑑」『NHKウイークリーステラ』1998年6月12日号、NHKサービスセンター。
- ^ a b 谷口あつし (2014年5月7日). “あの、ドラゴン藤波選手に大接近!”. アナウンサー日記・谷口 あつし. 山陰放送. 2021年4月2日閲覧。
- ^ 田中亜矢 (2016年8月25日). “お知らせ(;_:)(^.^)”. アナウンサー日記・田中 亜矢. 山陰放送. 2021年4月4日閲覧。
- ^ a b “「生たまごBang!」の「山陰放送」 ローカル探訪”. メディア応援マガジンSynapse. ビデオリサーチ (2014年). 2021年4月2日閲覧。
- ^ 谷口あつし (2014年3月8日). “生たまごを、卒業します♪”. アナウンサー日記・谷口 あつし. 山陰放送. 2021年4月2日閲覧。
- ^ 谷口あつし (2017年3月30日). “特集「山陰イマ人」”. アナウンサー日記・谷口 あつし. 山陰放送. 2021年4月2日閲覧。
- ^ “”. 山陰放送. 1998年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月2日閲覧。
- ^ “”. 山陰放送. 2010年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月2日閲覧。
- ^ 番組で共演していたフレアバーテンダー前田兄弟のブログより。“因幡スピリット”. フレアバーテンダー前田兄弟とKURAMPの日々の出来事 (2010年10月5日). 2021年4月2日閲覧。
外部リンク
- - ウェイバックマシン(2020年10月8日アーカイブ分)
- アナウンサー日記・谷口 あつし/山陰放送