この(存命人物の記事)には(検証可能)な(出典)が不足しています。(2022年6月) |
諏訪 博(すわ ひろし、1915年(大正4年)6月11日 - 1989年(平成元年)12月9日)は、日本の実業家。北海道小樽市出身。TBS[2]社長などを歴任した。
来歴・人物
小樽中学校(現・北海道小樽潮陵高等学校)、慶應義塾大学経済学部卒業後、国際電気通信に入社。
1951年(昭和26年)、TBSの前身であるラジオ東京の設立に参加。ラジオ編成部長、テレビ演出部長、テレビ営業局長、常務を歴任。69年社長に昇格、77年6月会長に退き、山西由之に社長を譲る。
1983年(昭和58年)相談役、86年山西が死去したため会長に復帰し、89年6月特別顧問。
不朽の名作ドラマ『私は貝になりたい』の演出を手掛け、「ドラマのTBS」の基礎を築いた。また広告契約の「個別セールス」方式を開発したほか、大阪ネットワーク局の朝日放送[3]から毎日放送[4]へのネットチェンジなどテレビ局の経営近代化にも尽力した[1]。晩年は放送番組センター会長として、番組保存に力を注いだ[1]。
1989年12月9日、前立腺ガンのため74歳で死去。
著書
- 『一葦の記―私の民放営業三十年』TBSブリタニカ、1981年1月。(ISBN 978-4484000749)
脚注
- ^ a b c “諏訪 博”. コトバンク. 2022年6月22日閲覧。
- ^ 会社法人としては現在のTBSホールディングス。放送局としては現在のTBSテレビ・TBSラジオ。
- ^ 会社法人としては現在の朝日放送グループホールディングス。放送局としては現在の朝日放送テレビ・朝日放送ラジオ。
- ^ 初代。会社法人としては現在のMBSメディアホールディングス。放送局としては現在の毎日放送(2代目)・MBSラジオ。