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記念碑台

記念碑台(きねんひだい)は六甲山開発の祖であるイギリス人アーサー・ヘスケス・グルームの記念碑が立てられた高台。所在地は兵庫県神戸市灘区六甲山町北六甲123。サンセットドライブウェイ、(サンライズドライブウェイ)および裏六甲ドライブウェイといった各道路が枝分かれする地点で、標高795.6m。

記念碑台

展望は連山中最も視界が広く、表裏両六甲を楽しめる。真冬でも売店は開いており、霧氷ハイキングでの手軽なオアシスとなる。

歴史

グラバー商会の出張員であった居留英国人アーサー・ヘスケス・グルームは私費を投じて六甲山へ植林や登山道整備を行い、当時の兵庫県知事であった服部一三などに砂防や植林の必要を説き、「六甲山村長」と呼ばれるようになっていた。

彼の偉業を称えた「六甲開祖之碑」は有野村の(河原市太郎)村長の発起で立てられ、1912年(明治45年)6月23日に除幕式を挙行。題字は服部一三知事が執筆。碑石は住吉村の六甲塚で選定され山頂へ運ばれた。碑の裏面には有馬郡長有留清による以下の碑文が刻まれていた。(碑文中の「ヘンリー」は「ヘスケス」の誤り)

古来荒涼に遺棄せられたりし六甲の山嶺今や避暑の名区となる其の開拓創始者を実に、アーサー・ヘンリー・グルーム君と為す。君は西暦千八百四十六年英京倫敦に生まれ貿易商として我が明治元年四月甫めて神戸港に来れり業を営む。同二十八年偶々六甲山を跋歩して遊猟を試む此の地避暑に適すると見るや別荘を経営し爾来斡旋尽力労を執りて吝まず。遂に今日の昌勢を致すその功績実に尠少にあらず、今茲に有馬郡(唐櫃村)、武庫郡六甲村及び関係有志者相謀り開祖の功を永く後世に伝へんが為めに記念碑を建設すときに明治四十五年五月なり

この顕彰碑は第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)、敵国人のものであるという理由で取り壊された。同碑は(兵庫県観光連盟)、(兵庫県国際観光協会)、神戸商工会議所神戸新聞、(六甲山自治会)の発起、阪本勝知事の碑文で楯型の「六甲山の碑」として1955年(昭和30年)に再建され、同時にグルームの胸像も建てられた。2006年より神戸市は6月5日を「六甲の日」と定め、2007年からは毎年6月5日に一番近い日曜日に、夏山の安全を祈願する「グルーム祭」で山開きを行っている。

周辺

参考文献

  • 六甲・摩耶・有馬 (山と高原地図 (51)) (赤松滋、昭文社) (ISBN 978-4398750518)
  • 兵庫県大百科事典・下巻(神戸新聞出版センター)

座標: 北緯34度45分24.6秒 東経135度13分49.4秒 / 北緯34.756833度 東経135.230389度 / 34.756833; 135.230389

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