座標: 北緯35度15分21秒 東経139度44分39秒 / 北緯35.25583度 東経139.74417度
観音崎(かんのんざき)は、神奈川県横須賀市鴨居4丁目に位置する岬。岬周辺の地域を表す地名として用いられることもある。
概要
三浦半島東端に位置し、東京湾(浦賀水道)に面する。対岸の房総半島富津岬までは約7kmである。付近は「県立観音崎公園」として整備され、観音埼灯台が立地するほか旧日本陸軍が明治10年代から20年代にかけて建設した砲台と弾薬庫跡が多く残る。園内にはこのほか1953年創立の観音崎自然博物館があり[2]、横須賀美術館が2007年(平成19年)4月に開館した。園内には墓と見られる多くの横穴が崖にみられる。また、海上保安庁東京湾海上交通センター(とうきょうマーチス)の観音埼レーダー施設も公園内にある。
名称の由来
741年(天平13年)、行基がこの地の海蝕洞に住む大蛇を退治して十一面観音(船守観音)を祀ったと伝えられる。江戸時代には観音堂など堂宇が創建されて仏崎山(ふだらくさん)観音寺と称し、幕府から朱印地を与えられていた。
観音寺は1880年(明治13年)に陸軍の砲台建造に伴って鴨居の亀崎(現・横須賀市鴨居3丁目)へ移転、1986年(昭和61年)には火災のため焼失してしまい、現在は小さな堂が残っている。
観音埼灯台
観音埼灯台は、1869年(明治2年)に建設、初点灯した日本最初の洋式灯台である。その後、関東大震災など二度の地震で倒壊し、現在の灯台は3代目にあたる。灯台内部の見学も可能(有料)。
詳細は観音埼灯台の項を参照。
- 高さ:19m
- 光達距離:20海里
ガリバー旅行記による町おこし
ガリヴァー旅行記で、「ガリヴァーが日本に入港した場所ザモスキが観音崎である」としての町おこしが2000年代半ばから行なわれている。"Xamoschi" (ザモスキ) と"Kannosaki" 「カンノサキ」の筆記体が「似ている」ことなどによるとされる[3][4][5]。町おこしを推進する市民団体では「夢のあるエピソード」としている[5]。これを受け、横須賀出身のミステリー作家山口雅也も、ガリバーが観音崎に上陸するシーンを描いた作品『狩場最悪の航海記』を発表している[6]。
ギャラリー
夏季は海水浴客で賑わう
砲台跡のひとつ、「北門第一砲台跡」
観音崎南岸の「たたら浜」
大蛇が棲んでいたと伝わる海蝕洞
観音埼灯台
アクセス
バス
自動車
脚注・参考文献
- ^ “「埼」と「崎」はどうなってるの?”. 海上保安庁海洋情報部. 2019年12月8日閲覧。
- ^ 観音崎 - 神奈川県観光協会
- ^ “神奈川・観音崎にガリバー来た? 園児とパレード”. asahi.com (2007年5月7日). 2013年6月6日閲覧。
- ^ “「ガリバー観音崎上陸」の逸話”. タウンニュース (2011年6月10日). 2013年6月6日閲覧。
- ^ a b “”. 横須賀経済新聞 (2010年6月27日). 2011年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月6日閲覧。
- ^ “”. 横須賀経済新聞. 2011年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月6日閲覧。
関連項目
- 観音崎
- 観音崎公園
- 剱崎
- 映画の舞台
- 歌
- レコーディングスタジオ
- 防衛大学校逍遥歌(本校は観音崎のすぐ近くである)
- よそゆき顔で - 松任谷由実の時のないホテル収録曲。「白いセリカ」とともに、「観音崎の歩道橋」という歌詞が存在している。