概要
元亀2年(1571年)春、武田氏配下・秋山虎繁(信友)による三河侵攻に対抗。懸命の迎撃戦により武田軍を一時的に退ける事に成功したものの、総領の兄・義勝はこの戦いで命を落とした[3]。
徳川家康からは西郷氏の後継に、従兄弟・家員(清員の子)が指名されている。兄の遺児が幼弱であることが理由なら、家員よりも西郷嫡流に生まれた正友への家督相続も考えられたが、家康はそれすら認めなかった。
天正15年(1587年)、木俣守勝・(椋原政直)とともに井伊直政に付けられる。最盛時で2000石を食んでいたともいわれる。その後、隠居時には300石だったという。
現在、彦根東高校の付近に残る西郷屋敷跡とは、彦根藩で重きを成していた子の(重員)に宛がわれた屋敷だと思われる。