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概要
三河湾の北西部である知多湾の北側を指す。別名は衣ケ浦(ころもがうら)、衣ケ浦湾(ころもがうらわん)、衣ケ湾(ころもがわん)など。衣浦港の港湾区域に指定されている。
名称
大日本帝国陸軍陸地測量部や碧海郡役所が発行する地図では基本的に「衣ケ浦」と表記されてきた。しかし、1899年(明治32年)に知多郡武豊町の武豊港が開港した頃には「衣ケ湾」と、大正末期から昭和初期には「衣浦湾」と、1935年(昭和10年)頃からは「衣ケ浦湾」と表記されることも多くなった。1957年(昭和32年)、知多郡美浜町の布土川の河口から東に引いた線の北側が「衣浦港の港湾区域」に指定され、「衣浦湾」という呼び方が加わった。
名称の由来
建稲種命の衣説
ヤマトタケルの武将である建稲種命は駿河国の海で溺れ死に、建稲種命がまとっていた衣(ころも)がこの地に漂着した。
許呂母の君
垂仁天皇の第12皇子である落別主は、許呂母の君(ころものきみ)として挙母を治めていた。挙母に近いこの地を許呂母ケ浦(ころもがうら)と呼んでいたが、いつしか衣ケ浦に変わった。
地理
範囲
師崎・日間賀島・佐久島・西尾市一色町生田鼻を結ぶ線と、知多半島および西三河の海岸で囲まれた範囲を知多湾と呼ぶ。知多湾は周囲約70キロメートル、面積約57平方キロメートルである。この知多湾北部を衣浦湾と呼ぶ。
干満差
湾内の潮位の平均干満差は、大潮で1.8メートル、小潮で0.7メートルである。歴代最高潮位は1959年(昭和34年)9月の伊勢湾台風の際の高潮であり、平均水面より約3.5メートル高かった。しかし、外洋性のうねりの影響は比較的小さい。
脚注
参考文献
- 碧南事典編さん会『碧南事典』碧南市、1993年、143-144頁
外部リンク
- 衣浦