藤原 浄本(ふじわら の きよもと)は、平安時代初期の公卿。名は清本とも記される。藤原式家、参議・藤原蔵下麻呂の九男。官位は従三位・大蔵卿。
経歴
弘仁2年(811年)正六位上から従五位下に昇叙され、宮内少輔に任ぜられる。のち、嵯峨朝では図書助・侍従を歴任する。
嵯峨天皇末年の弘仁14年(823年)正月に従五位上に叙せられると、同年4月淳和天皇の即位に伴い正五位下、さらに同年11月には従四位下と1年間で四階の昇叙を受ける。その後も天長4年(827年)従四位上、天長5年(828年)正四位下・蔵人頭と淳和朝で順調に昇進し、この間、大蔵大輔・(近江守)・大舎人頭・大蔵卿を歴任した。天長7年(830年)5月従三位に叙せられ公卿に列すが、同年7月21日に(薨去)。享年61。最終官位は大蔵卿従三位。
官歴
注記のないものは『日本後紀』による。