蔵原 敏捷(くらはら としかつ、1888年8月15日 - 1945年8月7日)は、日本の政治家。元和歌山県知事。衆議院議員(3期)。
概要
熊本県下益城郡小川町(現・宇城市)出身。小川小、八代中、五校、東大法学部政治学科卒業[1]。1930年、和歌山県知事に就任。1931年12月18日に休職[2]。1932年1月29日、依願免本官となり退官した[3]。
1936年、第19回衆議院議員総選挙で国民同盟から立候補し初当選。1937年、第20回衆議院議員総選挙で再選。1942年、第21回衆議院議員総選挙で翼賛政治体制協議会の推薦で立候補し再選。1945年、熊本で空襲に遭い死去[4]。