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初代
(宝暦11年(1761年) - 文政6年12月12日(1824年1月12日))
江戸吉原の茶屋3代目(4代目とも)(桐屋五兵衛)の子。河東節の三味線方で(山彦文次郎)、1805年に3代目(山彦新次郎)を襲名。寛政時代に入り、一中節に転じ菅野序遊を名乗り(5代目都一中)の三味線方になった。
古典の復活や「羽衣」「廓の寿」「吉原八景」など40曲以上の作曲をした。
他にも箏を山田検校、浄瑠璃を(4代目竹本染太夫)に教わった。
一中節の中興の祖。
実子が2代目序遊を継いだ。
2代目
(天明4年(1784年) - 天保12年1月10日(1841年2月1日))
江戸の生まれ、初代序遊の実子。最初は河東節の三味線方で山彦文次郎。後に一中節に転じて2代目序遊を襲名した。茶、俳句、書画なども嗜む風流人であった。1839年には(6代目都一中)で紛糾をし菅野派を企てる。
3代目
(生年不詳 - 嘉永4年8月22日(1851年9月17日))
江戸の生まれ、2代目序遊の甥。通称を「幾三郎」。
4代目
(天保12年7月26日(1841年9月11日) - 大正8年(1919年)9月23日)本名は菅野藤次郎。
江戸吉原の茶屋6代目桐屋五兵衛の子。初代序遊の門弟の(菅野序国)の門弟で3代目序遊没の1851年に4代目序遊を襲名した。
「江戸紫」「品川八景」などを残す。
5代目
(明治19年(1886年)3月26日 - 昭和36年(1961年)8月20日)本名は菅野利三。
4代目序遊の甥で養子。1920年に5代目序遊を襲名し家元になる。
「銀鱗」「桜川」などを残す。