菅原 エン(すがわら エン、1900年2月27日[1] - 1994年2月15日[1][2][注 1])は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)。
経歴
岩手県東磐井郡渋民村(のち大東町、現一関市)出身[1][2][3][4]。盛岡高等女学校(現・岩手県立盛岡第二高等学校)を経て[1][3]、結婚し子供を儲けるが、離婚し、実家に戻り、地元の小学校に勤務する[3]。その後、上京し戸板裁縫学校高等師範科(現・戸板女子短期大学)に入り、1929年に卒業する[1][4][5]。卒業後は帰郷し、岩手県歌人協会会員[5]。岩手県翼賛報国会文芸部員となる[5]。
1946年の第22回衆議院議員総選挙で、岩手県全県区にて日本進歩党から立候補してトップで初当選した[1][3][4]。国内初の女性代議士の一人で、女子従業員の待遇改善や民生委員の女性登用などに尽力した[6]。
翌1947年の総選挙で岩手2区から民主党で立候補したが落選[7]。1949年の総選挙に無所属で立候補したが落選した[8]。1994年死去。
脚注
注釈
- ^ 『新しき明日の来るを信ず』174頁では「2月16日」。
出典
参考文献
- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月。
- 岩尾光代著『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』(日本放送出版協会、1999年)(ISBN 4140804394)。
- 『現代物故者事典 1994~1996』日外アソシエーツ、1997年。
- 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
- 岩手県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 編著『岩手県姓氏家系歴史人物大辞典』角川書店、1998年。
- 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。