荏原村(えばらむら)は、1956年(昭和31年)まで愛媛県下浮穴郡のち温泉郡にあった村であり、現在の松山市の南部に位置する。
地理
現在の松山市の南部。重信川の左岸、南部と、重信川支流の一つである(御坂川)の流域。御坂川が南北に貫流し、両岸に水田が広がる。
- 地名の由来
- 荏原という地名は平安期から郷名として見られ、『和名抄』による浮穴郡4郷の一つ。南北朝期には合戦の舞台となった会原城があった。
歴史
藩政期
- 松山藩領
明治以降
- 1889年(明治22年)12月15日成立。当初は下浮穴郡に属した。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 温泉郡に郡域変更。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 坂本村との合併により久谷村となる。
荏原村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) 津吉村 ━━┓ 中野村 ━━┫ 河原村 ━━┫ 東方村 ━━╋━━━━━ 荏原村 ━━━┓ 小村 ━━┫ ┃(昭和31年9月30日合併) 上野村 ━━┫ ┣━━ 久谷村 ━━┓ 西野村 ━━┫ ┃ ┃ 恵原町村 ━━┛ ┃ ┃ 坂本村 ━━━┛ 昭和43年10月25日松山市に編入 (注記)坂本村成立以前の系譜については、同村の記事を参照のこと。
地域
津吉(つよし)、中野、河原、東方(ひがしかた)、小村、上野、西野、恵原町(えばらまち)の8つの大字があった。いずれも明治の村制発足前からの旧村であり、久谷村になっても大字として存続した。
役場は大字東方においた。
行政
- 役場
- 大字東方においた。
交通
旧街道沿線、遍路道にもあたり、八坂寺がある。 森松から御坂峠に至る「土佐街道」が恵原町を抜けているため、明治以前は恵原地区が一番栄えていたため「町」を村の前に冠して「恵原町村」と呼ばれた。 遍路道もほぼ土佐街道にそっている。