来歴・人物
福岡電波高等学校(現・福岡工業大学附属城東高等学校)時代は、エースとして活躍するも甲子園出場は果たせず。1964年に西鉄ライオンズに入団。同期には清俊彦がいた。貴重な左腕投手として期待されたが全く伸びず、翌1965年限りで引退した。
尚、父が果たせなかった甲子園とプロ野球一軍公式戦出場の夢は、息子の隆信が叶えた。
詳細情報
年度別投手成績
- 一軍公式戦出場なし
背番号
- 66 (1964年 - 1965年)
関連項目
出典
- ^ 「プロ野球人名事典2001」577P、森岡浩、日外アソシエーツ発行、紀伊國屋書店発売、2001年、(ISBN 978-4816916694)