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能勢妙見山(のせみょうけんざん)は、大阪府豊能郡能勢町にある日蓮宗の寺院。山号は無漏山。本尊は妙見菩薩。妙見山の山頂付近にあり、北極星信仰の聖地として知られる。
能勢妙見山 | |
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本堂 | |
所在地 | 大阪府豊能郡能勢町野間中661 |
位置 | 北緯34度55分44.328秒 東経135度27分59.245秒 / 北緯34.92898000度 東経135.46645694度 |
山号 | 無漏山 |
宗派 | 日蓮宗 |
寺格 | (真如寺)境外仏堂 |
本尊 | 妙見菩薩 |
創建年 | 慶長8年(1603年) |
開山 | 日乾 |
開基 | 能勢頼次 |
正式名 | 無漏山眞如寺 境外仏堂 能勢妙見山 |
別称 | 能勢妙見堂 能勢妙見宮 |
公式サイト | 北極星信仰の世界的聖地|日蓮宗霊場 能勢妙見山 |
概要
能勢妙見堂(のせみょうげんどう)、また神仏習合時代の名残で境内入口に鳥居があることなどから、能勢妙見宮(のせみょうげんぐう)との通称もある[1]。
正式には無漏山眞如寺 境外仏堂 能勢妙見山と言い、能勢町地黄にある(真如寺)の境外仏堂である。境外仏堂とは飛び地境内にある仏堂の意だが、本寺の真如寺よりもはるかに多くの参詣者を集めており、関西地区における日蓮宗の寺院等においては重要な位置を占める。開山以来、真如寺住職が併せて受持していたが、宗教団体法の規定に基づき、1941年(昭和16年)に真如寺所属の仏堂となった。なお、山腹にある本瀧寺は妙見菩薩を祀り寺紋も酷似しているが、能勢妙見山とは無関係な天台宗系の妙見宗の寺院である。
歴史
当山の歴史は天平勝宝年間(749年 - 757年)に、為楽山(現・妙見山)の山頂に行基が為楽山大空寺を建立したことに始まるとされる。
平安時代の寛和2年(986年)、妙見菩薩を信仰していた源満仲が屋敷で祀っていた鎮宅霊符神像(妙見菩薩の別名)を当地へ遷座する。その後、満仲の孫である源頼国が能勢に移住して能勢氏を称し、この地の領主となると、当地の妙見菩薩を篤く信仰する。
天正9年(1581年)に明智光秀に攻められた能勢頼次が本拠地の丸山城から当山に移り、山頂の大空寺の跡地に(為楽山城)を築いて光秀軍と戦うが、やがて光秀に降伏した。しかし、本能寺の変で織田信長が光秀に殺されると、そのまま光秀の下にとどまっていた頼次は羽柴秀吉の攻撃を受け、丸山城は落城した。頼次は為楽山城から脱出して備前国に逃亡したため能勢の領地を失ってしまった。
その後、頼次は徳川家康の家臣となり 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで活躍したことにより、再び能勢の地を領地として宛がわれ、頼次は能勢氏を江戸幕府の旗本として再興させた。
頼次は日蓮宗の日乾(後の日蓮宗総本山である身延山久遠寺21世)に帰依し、日乾を新たに頼次自ら(開基)として開いた真如寺の開山とした。慶長8年(1603年)には日乾の手によって新たな妙見菩薩像が彫られるが、これを行基ゆかりの大空寺の趾であり、またかつての自城であった為楽山城の跡地に慶長10年(1605年)に建立した本殿(開運殿)に祀ることとした。こうして山の名も妙見山と呼ばれるようになった。これが現在の能勢妙見山である。
その後、能勢氏の外護のもと多くの参詣者が当寺を訪れるようになり「能勢の妙見さん」として近畿のみならず全国的に名が知られるようになった。当時の賑わいは落語の不精の代参からもうかがい知れる。
明和5年(1768年)3月16日には妙見山の女人禁制が解かれ誰でも入山できるようになった。安永2年(1773年)には本殿(開運殿)の内拝が許され、さらなる賑わいを見せた。
翌安永3年(1774年)、(能勢頼直)は江戸の本所に下屋敷を拝領したため妙見菩薩を屋敷内に勧請したが、やがてそれを発展させて誰もが参詣できるようにし妙見山別院とした。火伏札である「能勢の黒札」は火事の多かった江戸の町で大いに流行した。妙見山別院は坂本龍馬や勝海舟親子も通っていたことで知られており、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」でも妙見山別院が紹介された。
境内
- 本殿(開運殿) - 天明7年(1787年)、(能勢頼直)により再建。
- 祖師堂(棲神殿) - 1896年(明治29年)改修。
- 浄水堂 - 4代目中村歌右衛門による寄進。
- 経堂 - 寛政8年(1797年)8月、能勢頼直により建立。
- 絵馬堂 - 寛政8年(1797年)8月、能勢頼直により再建。
- 庫裡 - 1975年(昭和50年)5月再建。
- 祥雲閣 - 1902年(明治35年)建築。
- 鐘楼
- 日蓮聖人像
- 山門 - 山門は大阪府と兵庫県の県境にある。
- 信徒会館「星嶺」 - 1998年(平成10年)4月築。
- 宝物館 - 1922年(大正11年)築。
- 日乾上人像
- 能勢頼次像
信徒会館「星嶺」
山頂付近には「星嶺」(せいれい)という、当山の寺紋(能勢氏の家紋である切竹矢筈十字)をかたどった信徒会館が1998年(平成10年)4月に建てられており、2階の礼拝堂は床が全てガラス張りという仏教の礼拝堂とは思えない構造となっている。中には以前は寺院の売店があり、この売店は簡易郵便局も受託していた。能勢妙見宮の簡易郵便局受託解除により郵政民営化直前の2007年(平成19年)5月2日限りで一時閉鎖扱いとなった。その後2009年(平成21年)6月29日に、境内の北側にある特定郵便局であった元・妙見山郵便局の局舎にて委託者を変更して再開した。売店があった頃はいつでも自由に内部に入ることができ、無料休憩所もあったが、現在では礼拝の時以外は立ち入れなくなっており、売店は寺務所の左手の廃業した旅館に移っている。
交通
当寺への参道として能勢街道が、大阪市から池田市を経て当山まで古くから通じていた。また、能勢電鉄も元々は当山への参詣用に敷設されたものだった。現在の妙見山へのアクセスはケーブルカー・リフトが一般的だが、最盛期にはバスでの利用が一般的だった。
- 能勢電鉄妙見線の妙見口駅から徒歩約30分または阪急バスでケーブル前停留所で、妙見の森ケーブル黒川駅へ。その後、妙見の森ケーブル・妙見の森リフトを乗継ぎ、徒歩300mで鳥居前へ。
- 阪急電鉄宝塚線の池田駅から阪急バスで妙見山上停留所は、日曜・祝日の2往復のみ余野・東能勢中学校前停留所との間を運行していたが、2019年7月に廃止。)
- 祈祷などを予約した参拝者のみ妙見口駅まで送迎車がある。
- 自家用車の場合、旧妙見山上停留所横に広大な有料駐車場(1回500円)がある。
- 山頂までは多くの旧参詣道(ハイキング道)がある。その多くが山麓から1時間以上かかるが、自家用車で訪れる場合の最も手軽なルートは本瀧寺から登るルートとされる。本瀧寺の無料駐車場に車を置いて本堂脇から登山道に入り、途中で廃寺の脇を通るなどして30分ほどで能勢妙見山本堂に到達できる。
正月三が日
初日の出や初詣などで、大晦日から三が日にかけて例年非常に多くの人が訪れる。そのため通常と異なる交通規制やこの時期のみ利用できる公共交通機関があるので事前に調べておくことが勧められる。
- 周辺のJR、阪急電鉄、能勢電鉄、妙見の森ケーブル、妙見の森リフトは終日運行している。(大晦日~元旦)
- また、能勢電鉄妙見口駅から妙見の森ケーブル黒川駅までは通常徒歩かタクシーのみだが、この時期のみ阪急バスが運行している。
- 野間峠バス停(妙見荘交差点) - 清滝口交差点間が下り専用の一方通行となるため、車で登る場合はバイパス経由のルートのみとなるなど、妙見山頂へ向かう主だった道路が一部一方通行にされることがある。
文化財
大阪府・川西市指定天然記念物
- 妙見山のブナ林[2]
脚注
関連項目
- 能勢妙見山
- (真如寺)
外部リンク
- 日蓮宗霊場能勢妙見山公式HP
- 能勢妙見山 (@nosemyokenzan) - Instagram