義子内親王(ぎしないしんのう、文暦元年(1234年) - 正応2年12月7日(1290年1月19日))は、鎌倉時代の皇族・女院。仲恭天皇の皇女で、母は法印(性慶)の娘・右京大夫局。女院号は和徳門院(かとくもんいん / わとくもんいん)。
生涯
仲恭天皇が17歳で崩御した年に誕生した唯一の子女。母は右大臣源顕房の玄孫にあたる[注釈 1][1]。
大叔母にあたる凞子内親王(後鳥羽上皇の皇女)に扶持されていたと伝えられている[2]。正嘉元年(1257年)10月19日に内親王宣下があり、弘長元年(1261年)3月8日に准三宮宣下および院号宣下が行われた。26年後の弘安10年(1287年)12月10日に54歳で出家し、法名を真如覚と称した。正応2年(1290年)に56歳で薨去した[1][2]。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 芳賀登 他編『日本女性人名辞典』(日本図書センター、1993年) (ISBN 978-4-8205-7128-5) P314.
- 志村有弘 編『天皇皇族歴史伝説大事典』(勉誠出版、2008年) (ISBN 978-4-585-06063-5) (新間水緒「仲恭天皇」) P547.