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美々津

美々津(みみつ)は、宮崎県中北部、日向市南部の地域。町名としては美々津町。地内には宮の下、高松、落鹿、駅通り、石並、新町、立縫、別府、余瀬、田の原がある。日向市美々津町の郵便番号は889-1111(日向郵便局管区)。

美々津地域
みみつ
美々津の町並み
日本
地方 九州地方
都道府県 宮崎県
自治体 日向市
面積
16.11km²
世帯数
1,062世帯
総人口
2,189
(住民基本台帳、2018年3月1日現在)
人口密度
135.88人/km²
隣接地区 日向市幸脇地域
日向市東郷町地域
都農町川北
日向市役所美々津支所
北緯32度20分14.47秒 東経131度36分39.95秒 / 北緯32.3373528度 東経131.6110972度 / 32.3373528; 131.6110972座標: 北緯32度20分14.47秒 東経131度36分39.95秒 / 北緯32.3373528度 東経131.6110972度 / 32.3373528; 131.6110972
所在地 〒889-1111
宮崎県日向市美々津町3432番地1
美々津地域
(テンプレートを表示)

本項では同地域にかつて所在した児湯郡美々津村(みみつむら)、美々津町(みみつちょう)についても述べる。

概要

児湯郡美々津町1955年(昭和30年)日向市に編入。耳川(美々津川)右岸から石並川流域を占め、西部は尾鈴火成岩の山地、沿岸部は宮崎平野の北縁をなす。 耳川河口美々津港江戸時代高鍋藩上方交易港明治大正時代は入郷地帯を後背圏とする物資の移出入港となり美々津はその港町として栄えた。 当時の建物、敷地割が残り、瀬戸内船運の西端にあたり、上方風の商家、操船・水運業者の家、漁家が連なり、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定される。

「美々津の歴史的街並」で、昭和61年度手づくり郷土賞(人と風土が育てた家並)および平成17年度同賞大賞受賞。

歴史

美々津町
廃止日 1955年1月1日
廃止理由 編入合併
日向市、美々津町日向市
現在の自治体 日向市
廃止時点のデータ
  日本
地方 九州地方
都道府県 宮崎県
児湯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,574
国勢調査1950年
隣接自治体 日向市
児湯郡都農町
東臼杵郡東郷村
美々津町役場
所在地 宮崎県児湯郡美々津町大字美々津
座標 北緯32度20分14.5秒 東経131度36分39.8秒 / 北緯32.337361度 東経131.611056度 / 32.337361; 131.611056 (美々津町)
ウィキプロジェクト
(テンプレートを表示)

古くから港としてにぎわいをみせ、室町時代には日明貿易港としても発展していたことが知られ、江戸時代中期の1740年元文5年)には洪武通宝洪武帝の時代に中国で作られた銭貨)240枚が掘り出されたとの記録がある[1]

戦国・安土桃山・江戸時代

明治維新後

 
美々津県庁跡

第二次世界大戦後 - 現代

 
宮崎の(リニア実験線)
  • 1955年(昭和30年)1月1日 美々津町が日向市に編入。
  • 1965年(昭和40年)美々津農協は日向市農協組合に合併される。
  • 1966年(昭和41年)
    • 3月29日 日向市役所美々津支所が設置される。美々津町と幸脇地域を管轄。
    • 美々津ゴルフ場オープン。
  • 1967年(昭和42年)国道10号美々津大橋(全長334m)が開通する。
  • 1968年(昭和43年)南日本ブロイラー株式会社(現日本ホワイトファーム)が操業を開始する。三菱商事日本ハムなど5社が出資。
  • 1969年(昭和44年)農村集団電話が開通し195戸が加入する。
  • 1971年(昭和46年)
  • 1973年(昭和48年)美々津公民館完成。
  • 1974年(昭和49年)2月15日 美々津海岸日豊海岸国定公園の区域に指定される。
  • 1977年(昭和52年)4月 日本国有鉄道鉄道技術研究所が(リニア実験線)(約7km)を開設する。
  • 1979年(昭和54年)リニア走行実験で時速517km、磁気浮上式鉄道の世界新記録を達成。
  • 1982年(昭和57年)リニア走行実験で世界初の有人走行実験に成功する。
  • 1986年(昭和61年)国の重要伝統的建造物群保存地区として選定される。
  • 1996年(平成8年)新実験線を山梨県に建設されることになり、宮崎実験線でのリニア走行試験は終了する。
  • 1998年(平成10年)宮崎実験線で東北大学の研究グループによるエアロトレインの走行試験を始める。

東征伝説

神武東征出発の地との伝説が残っている。ただし、記紀には美々津もしくはそれと同定できる記述はない。古事記には日向国とのみあり、日本書紀には記述がない。

伝承

 
立磐神社

伝承によれば、神武天皇の出航日は旧暦8月1日である。(日本書紀によれば旧暦10月5日である)

神武天皇はこの日の昼に出航の予定だったが、風向きが変わったため早朝に繰り上げ、「起きよ、起きよ」と家々を起こして回った。このことから、旧暦8月1日には起きよ祭りが開かれる。時間がなかったので着物のほつれに気づいても直す暇がなく、立ったまま縫わせた。そのためこの地を「立縫いの里」と呼ぶ。住人たちは出航に合わせてを作る予定をしていたが、急遽、小豆餅米を一緒について渡した。これを「お船出団子」と言い、今に至るまで美々津の名物となっている。

(立磐神社)には、「神武天皇御腰懸磐」がある。神武天皇が出航の際にこのに腰掛け指揮したとされ、社名の「立磐」もこれに由来する。神武天皇と航海神の住吉三神を祭神とする。

紀元2600年記念

 
日本海軍発祥之地碑

1940年紀元2600年記念行事の一環として、(海軍協会)、(大日本海洋少年団)、大阪毎日新聞社の主催で、(おきよ丸)が建造され、神武東征の航跡をたどり、美々津から大阪中之島まで航海し橿原神宮に神楯を奉献した。

続き1942年、「日本海軍発祥之地」と両爪の像が立てられた。碑文は米内光政内閣総理大臣海軍大将の筆による。占領期に碑文が一部連合国軍により破壊されたが、現在は修復されている。

交通

 
美々津駅
 
国道10号
港湾
鉄道
バス
  • 南部ぷらっとバス
道路

河川

施設

 
日向市歴史民俗資料館

重要伝統的建造物群保存地区

重要伝統的建造物群保存地区データ

名称:日向市美々津

ふりがな:ひゅうがしみみつ

種別:港町

選定年月日1986年12月8日(昭和61年12月8日)

選定基準:伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示している

所在場所住所:宮崎県日向市

面積:9万2000平方メートル

解説文:幕末から明治・大正期にかけて廻船業を中心に賑わった港町。地区内には3本の主道路と「ツキヌケ」と呼ばれる防火路が設けられ、それぞれの通りに切妻・妻入り、平入りの建物が混在している[3]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『角川日本地名大辞典 45 宮崎県』 昭和61年10月 角川書店 (ISBN 4-04-001450-2)
  2. ^ 江戸時代、ここには高鍋藩藩主秋月氏が出港まで宿泊する御仮屋が置かれた。
  3. ^ 国指定文化財等データベース:重要伝統的建造物群保存地区主情報詳細・日向市美々津 - 文化庁

参考文献

  • 『日本地名大百科 ランドジャポニカ』1996年12月20日 小学館 (ISBN 4-09-523101-7)

関連項目

外部リンク

  • 日向市公式ホームページ
  • 伝統の文化と街並みが残る美々津 - 日向市
  • 日向市美々津伝統的建造物群保存地区 / 日向市文化財 - 日向市
  • 日向市美々津(港町 宮崎) 文化遺産オンライン - 文化庁
  • 美々津手漉き和紙 - 日向市
  • 日向歴史民俗資料館 - 日向市
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