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總見院

總見院(そうけんいん)は、愛知県清須市一場にある臨済宗妙心寺派寺院である。山号は興聖山。織田信長ゆかりの寺院である。

總見院

本堂
所在地 愛知県清須市大嶋1丁目5番地2
位置 北緯35度13分42.85秒 東経136度50分10.29秒 / 北緯35.2285694度 東経136.8361917度 / 35.2285694; 136.8361917座標: 北緯35度13分42.85秒 東経136度50分10.29秒 / 北緯35.2285694度 東経136.8361917度 / 35.2285694; 136.8361917
山号 興聖山
宗旨 臨済宗
宗派 妙心寺派
本尊 木造釈迦如来
創建年 1644年(正保元年)
開山 永吃閩山
正式名 興聖山 總見院
文化財 伝、織田信長焼兜
公式サイト 興聖山 總見院
法人番号 8180005002041
(テンプレートを表示)
山門と鐘楼

概要

元々は清洲城下の現在地(旧北市場村)に總見寺が存在していたが、1610年(慶長15年)の清洲越しにより名古屋に移った總見寺址に再興した寺である。

織田信長の供養塔、焼兜がある。

歴史

江戸期以前

伊勢の安国寺である、虎關師錬開基の三重県三重郡大字西日野の神賛寺が1572年(元亀3年)、滝川一益との戦により焼失した。織田信雄が父信長の菩提を弔うため、伊勢国桑名郡大島墟城地に安国寺を引き取り瑞恕忠嶽を開山として景陽山總見寺を建立した[1]。しかし、1585年(天正13年)、地震により大破したため尾張清洲の地に再建した。1610年(慶長15年)、清洲越しにより清洲城の城下町ごと名古屋へ移って遺跡となった。

清洲越以後

1644年(正保元年)に總見寺3世永吃閩山が加納姫(亀姫)の養い坊主であったため、京都に退隠するのを尾張藩徳川義直が慰留し、總見寺址に隠居所として寺を再興した。義直が興聖山總見院と名づけ、2代藩主光友が扁額を寄進した。

1785年(天明5年)柏原織田家より『伝、織田信長焼兜』が奉納される。

伽藍

  • 山門
  • 本堂

寺宝

  • 伝、織田信長焼兜 - 1785年(天明5年)柏原織田家より奉納されたもので、家老生駒主水方綱、津田内蔵助頼利の由緒箱書きがある。

所在地・交通

拝観等

  • 常時拝観は行っていない。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『名古屋市史』と『清洲町史』所収『勢州長嶋記』では少し異なっている。
  2. ^ 所在地 - 總見院(2013年2月6日閲覧)

参考文献

  • 『清洲町史』

関連項目

外部リンク

  • 公式ウェブサイト(日本語)
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