細田 安兵衛(ほそだ やすべえ、1871年11月20日(明治4年10月8日[1]) - 1948年(昭和23年)5月2日[2])は、大正から昭和時代の政治家。実業家。(貴族院多額納税者議員)。幼名は仲治郎[1]。
経歴
東京府日本橋区西河岸町(現東京都中央区日本橋)出身[1]。2代目細田安兵衛の長男として生まれ、1893年(明治26年)11月、家督相続とともに先代を襲名する[1]。菓子店、榮太樓總本鋪を立ち上げる[1]。
1884年(明治17年)東京高等商業学校予備門を卒業し、ジェームス・サマーズの立ち上げた(欧文正鵠学館)(築地サンマー塾)で英語を学んだ[2]。
1917年(大正6年)以降、日本橋区会議員、東京市第十四地区区画整理委員会議長、東京地方裁判所商事調停委員、細田協佑社社長、日本橋区商工信用組合組合長などを歴任した[2]。
1932年(昭和7年)東京府多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から[3]1939年(昭和14年)9月28日まで1期務めた[2]。
関連項目
- 細田安兵衛 (6代目) - 子孫の一人。榮太樓總本鋪第6代社長、相談役。
- (細田眞) - 子孫の一人。榮太樓總本鋪第8代社長。
- 細田善彦 - 子孫の一人。眞の次男で俳優。
脚注
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。