» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

紀勢町

紀勢町(きせいちょう)は、かつて三重県度会郡にあった南勢地域(伊勢志摩)に含まれる。松阪市の南西約60kmにあった。

きせいちょう
紀勢町
紀勢町旗 紀勢町章
廃止日 2005年2月14日
廃止理由 新設合併
大宮町紀勢町大内山村大紀町
現在の自治体 大紀町
廃止時点のデータ
日本
地方 東海地方近畿地方
都道府県 三重県
度会郡
市町村コード 24467-8
面積 68.13 km2.
総人口 4,237
(2004年11月1日)
隣接自治体 多気郡宮川村度会郡 南島町大宮町大内山村北牟婁郡 紀伊長島町
町の木 ウバメガシ
町の花 ツツジ
町の鳥
町の魚
メジロ
ブリ
紀勢町役場
所在地 519-2802
三重県度会郡紀勢町崎260
外部リンク (Internet Archive)
座標 北緯34度18分05秒 東経136度23分45秒 / 北緯34.30128度 東経136.39575度 / 34.30128; 136.39575座標: 北緯34度18分05秒 東経136度23分45秒 / 北緯34.30128度 東経136.39575度 / 34.30128; 136.39575
ウィキプロジェクト
(テンプレートを表示)

1957年(昭和32年)2月1日、山間の度会郡柏崎村と熊野灘に面した北牟婁郡錦町が合併し、度会郡紀勢町が誕生した。2005年(平成17年)2月14日に、大宮町大内山村と合併して大紀町が発足し、紀勢町は廃止された。

紀勢町役場にある樹齢100年(推定)のしだれ桜には毎年多くの見物客が訪れた。海に面した錦港リアス式海岸の天然の良港で、ブリ漁や磯釣りで知られた。

地理

  • 河川:大内山川、三ヶ野川、横谷川、奥川

隣接していた自治体

合併の経緯

本来は北牟婁郡錦町と度会郡柏崎村に合併の予定はなかった。両地域(錦町と柏崎村)は、方言、経済、文化ともに極端な関係は無く、また、三重県昭和の大合併の予定にも、両地域を合併させる指示はなかった。昭和の大合併で、柏崎村は隣接し交通、生活文化ともに関わりの深かった大内山村阿曽村との合併がふさわしいとされていた。一方、北牟婁郡錦町は、西に位置する紀伊長島との合併を県から推奨されていた。しかし、陸の孤島の孤島と呼ばれた錦町との合併に紀伊長島地区が猛反対した。錦町と紀伊長島地区は、漁業の関係から敵対関係にあり、また比較的良質な紀伊長島漁民が、錦町と合併することで経済的負担を強いられるとの理由で互いに対立した。しかし生活文化としては、錦町は紀伊長島地区と交流も深いことから県の意向としては、昭和の大合併において、錦町は紀伊長島地区と合併する予定であった。しかし錦地区は四方を激しい山岳地帯に囲まれた地形であり交易も激しい山道を徒歩で行き来するに困難であり、主に船における紀伊長島地区と生活交流が親密であった。しかし、紀伊長島住民から合併において敵対関係になり、当時の錦町議員らが柏崎村との合併に意欲を持ち出した。漁業を生業とする錦町に対し、柏崎村は林業と僅かばかりの平地に田畑を耕す農村であった。柏崎村と合併を県から推奨されていた大内山村は、炭焼が主産業であり、柏崎村との合併に好意的ではなかった。貧困漁村の錦町と貧困山岳地域である柏崎村であった。そこで錦町の漁業従事者が柏崎村の貧困農村の関係者を夜な夜な酒の席に誘い錦町と合併すると、ブリの株があるから(実際はそのようなものはなく、錦地区の人間の策略である)経済効果が高くなるともちかける。貧困漁村の錦町は、柏崎村の議員らを誘い、錦町と合併すれば、ブリ養殖の株を得ることが出きると説得(実際はブリ養殖株は得るとは出来ない)。期限間際、三重県庁まで行き貧困漁村であった北牟婁郡錦町と、同様貧困農村の度会郡柏崎村の合併を提言することとなる。(続き)なお、県庁まで出向いて抗議したのは、5人とも錦町民であり、柏崎村からは出向いてない。

町名の由来

旧・柏崎村が伊勢国、旧・錦町が紀伊国だったことから、紀伊の「紀」と伊勢の「勢」をとって「紀勢」と名付けられた[1]。すなわち、合成地名である。

沿革

行政

  • 町長:谷口友見(1994年2月26日から2005年2月13日)

経済

漁業

娯楽施設

    • うしを座、春風劇場、柏崎劇場 - 1960年(昭和35年)の度会郡には16館の映画館があった[注 1]

原発建設計画

1963年(昭和38年)11月に、中部電力原子力発電所熊野灘沿岸への立地計画を発表。1964年(昭和39年)に紀勢町と南島町にまたがる芦浜が計画地に決定。以後、2000年に中止が決定されるまで推進と反対を巡って町政は大きく揺れ、住民は二分する議論が行われた。 その一方で、中部電力からの寄付金により、小学校の体育館公民館が建設される[3]などインフラの整備も進んだ(詳細は芦浜原子力発電所の項を参照のこと)。

教育

中学校

  • (紀勢町立大紀中学校)

小学校

  • (紀勢町立錦小学校)

交通

鉄道

高速道路

一般国道

三重県道

主要地方道

一般県道

出身有名人

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 1960年の映画館(東海地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[2]

出典

  1. ^ 次田尚弘 (2016年6月5日). “”. 和歌山さんぽみちプロジェクト. 和歌山新報. 2016年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月18日閲覧。
  2. ^ 『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター、1999年。
  3. ^ 自治体に寄付金攻勢 前町長 個人的にもせびる『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月22日朝刊、13版、23面

関連項目

外部リンク

ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。