紀元前222年(きげんぜん222ねん)は、ローマ暦の年である。
世紀 | 前4世紀 - 前3世紀 - 前2世紀 |
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十年紀 | 前240年代 前230年代 前220年代 前210年代 前200年代 |
年 | 前225年 前224年 前223年 紀元前222年 前221年 前220年 前219年 |
当時は、「グナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウスとマルクス・クラウディウス・マルケッルスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元532年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前222年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
できごと
共和政ローマ
- (ウィリドマルス)に率いられたガリア人のガエサタエと(インスブレス族)に、執政官マルクス・クラウディウス・マルケッルスの率いるローマ軍がクラスティディウムの戦いで勝利し、マルケッルスは自身の手でウィリドマルスを殺害した。この勝利によってマルケッルスは、ローマ史上3人目の、そして最後のスポリア・オピーマとなった。更にもう一人の執政官グナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウスと共にメディオラヌム(現在のミラノ)を陥落させた。
ギリシア
- スパルタのクレオメネス3世はセラシアの戦いでアンティゴノス3世とアカイア同盟、(パロスのデメトリオス)率いるイリュリア、プトレマイオス3世率いるエジプトからなる同盟軍に敗れた。アンティゴノス3世の軍は他国の軍として史上初めてスパルタを占領した。
- ギリシアのほぼ全土がマケドニア王国の宗主権の下に置かれ、アンティゴノス3世は自身を首長として(ヘレニズム同盟)を再建した。
セレウコス朝
- 将軍(アカエウス)の率いるセレウコス朝の軍は、6年前に奪われたアナトリアの領土をペルガモン王国から取り返した。
- ポントス王ミトリダテス2世は、娘のラオディケ3世をセレウコス朝の王アンティオコス3世に嫁がせた。また、別の娘を同時にアンティオコス3世の従兄弟アカエウスに嫁がせた。
中国
誕生
「(Category:紀元前222年生)」も参照
死去
「(Category:紀元前222年没)」も参照
脚注
注釈
出典