米川 琴翁(よねかわ きんおう、1883年(明治16年)12月25日 - 1969年(昭和44年)1月24日[1])は日本の岡山県高梁市出身の地歌筝曲家。娘は生田流家元の米川敏子。
人物
幼時から弱視で異母兄である(米川暉寿)に箏を習った。15歳から(斉藤芳之都)に箏曲を師事した。1905年(明治38年)に上京し、(小出とい)から三弦を学んだ[1]。その後一時的に姫路で指導をしていたが、東京に戻り、1922年(大正11年)研箏会を創設し、自らが会長となって多数の弟子たちの育成に励んだ。1919年(大正8年)に13弦の低音箏などを開発した。1959年(昭和34年)に長男の(米川親利)に会長の座を譲り[1]、琴翁と名乗った。ロシア文学者の米川正夫は弟。
作品
- 「収穫の野」
- 「潮の響」など。