沿革
日中戦争が泥沼化するなかで、占領地の警備や治安維持を目的として1939年(昭和14年)2月7日に新設された師団の一つである。(同目的で、同時に第33師団・第34師団・第35師団・第36師団・第37師団が新設されている。また同年6月30日には第38師団・第39師団・第40師団・第41師団が新設された。)
編成後第12軍隷下山西省に在って、ほかの治安師団と同様に1939年夏以降に行われたさまざまな治安作戦に参加する。
太平洋戦争開戦後も第12軍隷下にあり山西省に駐屯していたが、1944年(昭和19年)4月にフィリピン南部ミンダナオ島に駐屯することになり、第14軍に編入された。しかし、間もなく派遣先はハルマヘラ島に変更になった。竹一船団によって輸送されたが、途中で輸送船が潜水艦によって沈められ、多数の兵員が海没するなどの損害を受けた。5月中旬にハルマヘラ島に上陸し、第2軍隷下、連合国軍の上陸に備えた。隣接するモロタイ島での戦闘が起きると一部を逆上陸部隊として派遣した。ハルマヘラ島には上陸が無かったため、師団主力はハルマヘラ島の守備を固めつつ終戦を迎えた。
師団概要
歴代師団長
- 木村兵太郎 中将:1939年(昭和14年)3月9日 - 1940年(昭和15年)10月22日
- (井出鉄蔵) 中将:1940年(昭和15年)10月22日 - 1942年(昭和17年)10月8日
- 石井嘉穂 中将:1942年(昭和17年)10月8日 - 終戦
歴代参謀長
- (当山弘道) 大佐:1939年(昭和14年)3月9日 - 1940年12月2日[1]
- (浜田寿栄雄) 大佐:1940年(昭和15年)12月2日 - 1942年2月9日[2]
- (吉田栄治郎) 大佐:1942年(昭和17年)2月9日 - 1944年8月21日戦死[3]
- 星野一夫 大佐:1944年(昭和19年)8月30日 - 終戦[4]
最終所属部隊
脚注
参考文献
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。