沿革
編成経緯・大陸戦線
日中戦争開戦後、占領地の警備や治安維持を目的として1939年(昭和14年)2月7日に新設された師団の一つ。宮城県仙台市で編成された。通称号の「弓」で知られる。
編成後、ただちに中国戦線に投入、第11軍戦闘序列に編入され湖北省に在って、ほかの治安師団と同様に1939年夏以降に行われたさまざまな治安作戦に参加し、その後1941年(昭和16年)4月に華北に転用され山西省に駐屯した。
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ビルマ攻略戦
太平洋戦争開戦後、第15軍戦闘序列に編入され(ビルマ攻略戦)に参加、1942年(昭和17年)1月にバンコクからビルマに向かう、5月末には第15軍によりビルマのほぼ全域が占領された(第一次アキャブ作戦)。
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インパール作戦
1944年(昭和19年)3月には、師団は第15師団・第31師団とともにインパール作戦に参加した。
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インパール作戦以後
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師団概要
歴代師団長
- 甘粕重太郎 中将:1939年(昭和14年)3月9日 - 1941年(昭和16年)1月20日
- 桜井省三 中将:1941年(昭和16年)1月20日 - 1943年(昭和18年)3月11日
- 柳田元三 中将:1943年(昭和18年)3月11日 - 1944年(昭和19年)5月16日
- (心得)田中信男 少将:1944年(昭和19年)5月16日 - 6月27日
- 田中信男 中将:1944年(昭和19年)6月27日 - 終戦
参謀長
- 外立岩治 歩兵大佐:1939年(昭和14年)3月9日 - 1939年8月1日[1]
- 小堀金城 砲兵大佐:1939年(昭和14年)8月1日 - 1940年12月2日[2]
- 村田孝生 大佐:1940年(昭和15年)12月2日 - 1943年6月10日[3]
- (田中鉄次郎) 大佐:1943年(昭和18年)6月10日 - 1944年9月9日[4]
- 倉橋武雄 大佐:1944年(昭和19年)9月9日 - 終戦[5]
最終所属部隊
インパール作戦時
師団幹部
隷下部隊
- 歩兵第213連隊(右突進隊)(連隊長:(温井親光)(大佐))
- 歩兵第214連隊(中突進隊)(連隊長:作間喬宜(大佐))
- 歩兵第215連隊(左突進隊)(連隊長:(笹原政彦)(大佐))
- 山砲第33連隊(連隊長:(福家政男)(大佐))
- 工兵第33連隊(連隊長:(八木茂)(大佐))
- 輜重兵第33連隊(連隊長:(松木熊吉)(中佐))
- 通信隊
- 衛生隊
- 歩兵第151連隊(連隊長:(橋本熊五郎)(大佐))(原隊:第53師団(安))((配属部隊)、以下同)
- 歩兵第67連隊第1大隊(大隊長:(瀬古三郎)(大尉))(原隊:第15師団)
- 歩兵第154連隊第2大隊(大隊長:(岩崎勝治)(大尉))(原隊:第54師団(兵))
- 独立速射砲第14大隊(大隊長:(川道乙巳)(中佐))
- 戦車第14連隊((上田信夫)(大佐)→(井瀬清助)(大佐))
- 野砲兵第54連隊第1中隊(中隊長:(星子友宏)(大尉))
- 野戦重砲兵第3連隊(連隊長:(光井一雄)(大佐))
- 野戦重砲兵第18連隊(連隊長:(真山勝)(大佐))
- 独立工兵第4連隊(連隊長:(田口音吉)(中佐))
脚注
参考文献
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。