竹屋 津根子(たけや つねこ、1872年5月9日(明治5年4月3日[1][注釈 1])- 1963年(昭和38年)3月20日[1][2])は、貞明皇后の典侍。楊梅典侍とも呼ばれる。位階および勲等は従三位・勲二等。父は(竹屋光昭)子爵。妹は香淳皇后の女官長を務めた竹屋志計子。
生涯
山城国京都で雅楽部長・竹屋光昭の娘として生まれる。また兄弟に南光利・西大路吉光がいる[3]。
1882年(明治15年)に宮内省に入り、御用掛として英照皇太后に仕え、1926年(大正15年)に典侍となり、貞明皇后に1948年(昭和23年)まで仕えた[2][4]。
栄典
脚注
注釈
- ^ 『日本女性人名辞典〔普及版〕』659頁では明治7年ごろ。
出典
参考文献
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 『日本女性人名辞典〔普及版〕』日本図書センター、1998年。