竹中 重元(たけなか しげちか / しげもと)は、戦国時代の武将。美濃国の土豪。(竹中重氏)の子。遠江守。美濃大野郡大御堂城主。なお、1558年までは岩手姓を名乗っていた可能性が高い。
経歴
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1499年(明応8年)、竹中重氏の子として誕生。子に竹中重治、竹中重矩などがいる。
土岐氏、斎藤氏の家臣として仕えた。1556年(弘治2年)4月、斎藤道三と子の斎藤義龍が戦った長良川の戦いでは、道三方に味方した。そのため戦後、重元留守中の大御堂の屋敷に義龍勢が来襲したが、妻の妙海大姉、子の重治、重矩が奮戦してこれを退けた。
1558年(永禄元年)、子の重治と共に菩提山の岩手弾正忠誠を攻めてこれを破り、新たに菩提山城を築いて居城とした。6千貫を知行した。こののち近隣の不破氏と不仲になり、翌1559年(永禄2年)には不破光治の襲撃を受けたが、家臣(竹中善左衛門)の活躍によってこれを退けた。
1560年(永禄3年)12月、六角義治の求めに応じて近江に出陣、浅井氏と戦った。なお、1561年(永禄4年)2月にも近江に出陣して戦功を挙げたため、義治より感状を受けた。
1562年(永禄5年)に病死。法名は常善。美濃国岩手村禅憧寺に葬られた。家督は子の重治が継いだ。