経歴
嘉永7年(1854年)7月12日、第6代藩主稲垣長明の次男として生まれる。明治元年(1868年)、兄で第7代藩主の長行が早世したため、その養子として家督を継いだ。明治2年(1869年)6月の版籍奉還で鳥羽藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で藩知事を免官された。学制発布時には「鳥羽聯合小学校」(現・鳥羽市立鳥羽小学校)創設のために出資した[1]。その後、慶應義塾に入り大学部を卒業した[2]。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[3]。
大正9年(1920年)8月30日に死去した。享年67。
孫に稲垣長賢がいる。
家族
父母
妻
- 本多文子 ー 本多忠寛の娘
子女
- 稲垣銑子 ー (稲垣長昌)夫人
養子
- (稲垣長昌) ー 奥平昌服の子
脚注
- ^ 鳥羽市史編さん室 1991, pp. 148–149.
- ^ 『慶應義塾入社帳』第1巻434項、第5巻181項・588項。
- ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
参考文献
- 『慶應義塾入社帳 第1巻』福澤諭吉研究センター(編)、慶應義塾、1986年。
- 鳥羽市史編さん室『鳥羽市史 下巻』鳥羽市役所、1991年3月25日、1347頁。(全国書誌番号):(92001549)