福間 知之(ふくま ともゆき、1927年9月20日 - 2000年1月7日)は、日本の政治家、参議院議員(3期)。日本社会党に所属し、派閥は政構研であった。
経歴
大阪府大阪市出身[1]。旧制大阪府立市岡中学校卒業[1]。1946年松下電器入社[1]。1953年同労組書記長[1]、同委員長、1962年電機労連中央執行副委員長、1964年初代IMF-JC(全日本金属産業労働組合協議会)議長を経て[1]、1974年の第10回参議院議員通常選挙全国区に無所属(電機労連の組織内候補)で立候補し、初当選[2]。その後、日本社会党に入党。
1992年、第16回参議院議員通常選挙に立候補せず政界引退。
2000年1月7日、多臓器不全のため神奈川県横浜市港北区の自宅で死去、72歳[6]。死没日をもって正四位に叙される[7]。
著書
- 『新情報化社会論』(PHP研究所、1986年)
- 『原子力は悪魔の手先か』(テレメディア、1989年)
- 『国民のための政権戦略』(新情報社会研究グループとの共著、21総合研究所、1992年)