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福田 馬之助(ふくだ うまのすけ、1856年(安政3年)10月24日 - 1936年(昭和11年)4月12日[1])は、日本の船舶工学者、海軍軍人。位階勲等功級は、海軍造船中将・従三位・勲一等・功四級[1]・工学博士。
経歴
尾張徳川家の家臣福田頼実の長男として[2]、美濃国(岐阜県)に生まれる。 工部大学校に入学(6期生。造船科としては2期生)し、同校が東京帝国大学に統合されたため、1884年(明治17年)東京帝国大学工科大学造船科卒業。同年、海軍三等工長として横須賀造船所在勤。1895年(明治28年)12月、呉鎮守府造船部造船科主幹。1896年(明治29年)から英国出張。1901年(明治34年)帰国。1907年(明治40年)海軍造船総監。1919年(大正8年)海軍造船中将。浅野造船所副社長も務め、大正4年には工学博士の学位を取得[2]。
親族
妻のハルは名古屋市助役などを務めた安藤因蔭の次女[3][4]。二男三女のうち、息子福田啓二は同じく造船工学者・海軍技術中将であり、戦艦大和の基本設計者として知られる。陸軍中将鎌田銓一は甥。墓所は東京都新宿区西新宿7丁目の常圓寺。
栄典
- 位階
- 1896年(明治29年)9月10日 - 従六位[5]
- 1898年(明治31年)3月8日 – 正六位[6]
- 1900年(明治33年)12月5日 - 従五位[7]
- 1918年(大正7年)8月20日 - 従三位[8]
- 勲章等
関連項目
脚注
- ^ a b 『官報』第2803号「彙報 - 官庁事項 - 官吏薨去」1936年5月9日。
- ^ a b 福田馬之助『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 福田馬之助『人事興信録』第4版[大正4(1915)年1月]
- ^ 安藤 因蔭∥アンドウ ヨリカゲ 尾東加茂郡長 ・ 名古屋市助役国学関連人物データベース、国学院大学
- ^ 『官報』第3963号「叙任及辞令」1896年9月11日。
- ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
- ^ 『官報』第5230号「叙任及辞令」1900年12月6日。
- ^ 『官報』第1816号「叙任及辞令」1918年8月21日。
- ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
- ^ 『官報』第700号「叙任及辞令」1914年12月1日。
- ^ 『官報』第1194号「叙任及辞令」1916年7月24日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。