歴史
由来によれば、前身は延喜式に名前が見える深川神社だったが、応仁の乱で焼失(1468年)した。その後寛永21年(1644年)に徳川家光と覚深法親王が社殿を造営し、班子女王の陵墓が付近にあったことから皇后をまつり、福王子神社となったとされる。
神社名の由来は、班子女王が多くの皇子皇女を生んだ事に由来する[2]ともいわれる。
境内社
末社として(夫荒神)を祀る夫荒神社(松尾大明神)は、平安時代に洛北の氷室から宮中へ氷を献上する習わしがあり、その運搬の際に命を落とすこともあった役夫たちの霊を祭り、安全を祈願するためもうけられたとされる。
文化財
重要文化財
寛永再興の社殿(2棟1基)が国の重要文化財に指定されている。1973年6月2日指定。
祭事
アクセス
脚注
外部リンク
- 京都市観光Navi - 福王子神社