概要
1949年(昭和24年)に創業し、1953年(昭和28年)に法人化した福富屋製菓の製造部門を引き継ぐ形で1996年(平成8年)7月16日に設立[1]。揚げあられ「ビーバー」を主力商品とし[1][3][4]、福富屋製菓時代はテレビコマーシャルの効果もあり北陸地方では知名度が高く[1][3]、最盛期の1980年(昭和55年)1月期には売上高3億8100万円を計上していた[1]。大手メーカーとの競争の激化や嗜好の多様化に伴い売上が落ち込み始めたが、1996年(平成8年)に福屋製菓に製造部門を売却、営業に注力したことで約5500万円まで落ち込んだ売上高は1億円程にまで回復していた[1]。
原材料や製法に対する拘りが強く価格競争で苦戦していたが、コンビニエンスストアへの販路拡大やカレー味の発売などを図り2008年(平成20年)1月期には売上高約9400万円を計上していた[3][4]。しかし、仕入れ原価の高騰による欠損が解消できずに売上は漸減、2010年(平成22年)より(石川県産業創出支援機構)による「いしかわ産業化資源活用推進ファンド」に採択され、2012年(平成24年)までの3年間で300万円の助成を受け新製品の開発や県外のスーパーへ売り込みなどを図っていたが[3][4]、資金繰りの悪化は解消できず、金融機関に返済猶予を申請していた[1]。
2013年(平成25年)に入りビーバーのパッケージデザインを刷新し[1]、ビーバー以外の生産をほぼ中止[3]、販路先の拡大によって受注増加が見込まれていたが、運転資金の増加に返済猶予では対応しきれなくなり、同年9月20日付けで事業を停止し、自己破産の準備に入った[1]。負債額は帝国データバンクによれば1億6500万円、東京商工リサーチによれば1億7000万円としている[3]。石川県内のスーパーでは9月24日以降ビーバーを店頭から撤去し始め、破綻を知った客がまとめ買いする光景もあったという[5]。2014年(平成26年)3月25日に金沢地方裁判所から破産手続開始決定を受けた[2]。
ビーバーはその後金沢市に本社を置く北陸製菓が製造を引き継ぎ、福屋製菓の従業員を受け入れ2014年(平成26年)8月に販売を再開した[6][7]。
沿革
商品
- ビーバー
- 名月
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m “(有)福屋製菓” (日本語). 倒産速報. 東京商工リサーチ (2013年9月25日). 2016年3月19日閲覧。
- ^ a b 有限会社福屋製菓(石川県白山市)破産手続き開始ジャパンビジネスレポート 2014年4月3日
- ^ a b c d e f (日本語). 北國新聞. (2013年9月25日). オリジナルの2013年10月2日時点におけるアーカイブ。 2016年3月19日閲覧。
- ^ a b c “「ビーバー」製造 福屋製菓が事業停止” (日本語). 読売新聞(地域、石川). (2013年9月25日). オリジナルの2013年9月27日時点におけるアーカイブ。 2014年1月10日閲覧。
- ^ (日本語). 北國新聞. (2013年9月25日). オリジナルの2013年10月2日時点におけるアーカイブ。 2016年3月19日閲覧。
- ^ 京谷奈帆子 (2015年11月20日). (日本語). 朝日新聞. オリジナルの2015年11月20日時点におけるアーカイブ。 2017年5月7日閲覧。
- ^ “北陸定番のお菓子「ビーバー」 生産再開から1年、新幹線フィーバーで完全復活!” (日本語). Jタウンネット東京都. ジェイ・キャスト (2015年11月22日). 2016年3月19日閲覧。
外部リンク
- - インターネットアーカイブによる2013年9月28日現在のキャッシュ