概要
神典とは仏教の聖典・経典の総称である「仏典」に対して考えられた用語であり、(中世)に神道の教典(経典・聖典)として想定された。現在の神道には、キリスト教の聖書、イスラム教のコーランにあたるような公式に定められた「正典」は存在しないとされるが[1]、正統な信仰の規範とすることができると広く認められる一群の文献が存在し、これらを神典と総称している[2]。
神典と呼ばれる文献群は主として平安時代までに成立したもので、神代における神々の事績を記すとともに、その内容において仏教や儒教の影響が少ないものに限られている。また神道五部書はまれに神典に入れている例があるが、このような中近世の諸流神道家による著作は各流派における教義を示したもので客観性に欠けるために、通常は神典の範囲からは外されるのが普通である。
神典とされる文献
一般に神典とされる文献には以下のようなものがある。
これ以外に『高橋氏文』『皇太神宮儀式帳』『止由気宮儀式帳』等も含めることがある。さらには『萬葉集』『律令』『続日本紀』以降の六国史、『延喜式』『令義解』『令集解』『釈日本紀』といったものに収録されている神道関係の古記録等も神典とされる[注 2]。
また戦後、「神道における大蔵経」を目指して編纂された叢書『神道大系』『続神道大系』があり、神道を理解するうえで重要な古典籍が収録されている。
享受者の認識
契沖はこれらの文献を「神代ヨリ有ツル事ドモ記セルノミ[6]」に過ぎないので、神道の根本を知るためには(朝廷)における公式行事(特に祭祀)や諸神社における祭祀に注目すべきであると説いた[7]。
本居宣長は古学の重要文献として、「道をしらんためには、殊に古事記をさきとすべし[8]」と述べ、『日本書紀』『古語拾遺』『萬葉集』の他に六国史の中にある宣命に触れるなど、神道に関係する様々な古典籍を挙げている[9]。
平田篤胤は「心を神典に潜めて道の蘊奥を貫くべし[10]」と述べ、神道の体得は神典によるべきであると重要性を説いた[7]。
刊行本
脚注
注釈
出典
参考文献
リンク
- 神典 - 長野県神社庁