石田 重廣(いしだ しげひろ、1958年〈昭和33年〉7月1日[1] - )は、日本の実業家。株式会社夢グループ及び株式会社ユーコーの代表取締役社長。
人物・経歴
福島大学附属小学校、福島大学附属中学校を卒業し[3]、甲子園を目指して宮城県の東北高等学校の野球部に入るも、学校の不祥事で対外試合が禁止されたことをきっかけに退学[4]。その後大学入学を目指すも、親から仕送りされた受験料を友人に盗まれ受験を断念[4]。19歳で上京するが、築地市場、吉野家などのアルバイトをことごとくクビになる[3]。
その後は本や百科事典、地球儀などの飛び込み営業を経て、独立して広告付き地図の広告を売る仕事を始める[5]。この広告販売業はそこそこの成功を収めるが、その後中国から絨毯を輸入して販売するビジネスなどを手掛けるものの失敗に終わるなど、20代は浮き沈みの激しい生活を送った[5]。
30代で「友交流通グループ」(現・ユーコー)を設立し、中国や香港などから育毛剤バストアップクリームなどを仕入れて日本で売る通販を始めた[6]。この頃は香港に移住し、日本と香港を行ったり来たりする二重生活を7年ほど送る[5]。香港で知り合ったある実業家から「いかがわしい商品はやめて高級なシルクを扱え」とアドバイスされたことから、主力商品を絹製のパジャマやナイトウェアに切り替え成功を収める[5]。
2003年に狩人のマネジメントを担当するため「有限会社あずさ2号」(現在の夢グループ)を設立した[6]。同社ではイベント出演などの営業に関する料金をパッケージ化したことが受け、狩人の仕事も激増したことから、歌手同士の横のつながりで評判となり、所属を希望する歌手が多く現れたという[7]。後に三善英史が所属となった際に社名を「夢グループ」に変更し現在に至る[7]。
夢グループのCMに自ら出演している。元々ユーコーの通販広告のモデルを自ら務めており、広告を見た顧客からは「モデルがダサすぎる」などとクレームが絶えなかったという[5]。このため広告に起用する芸能人を探す必要性に迫られ、芸能界との関わりができた[5]。今もCMに出演を続けている理由として、インタビューで「過去の広告で、商品よりも芸能人が目立ってしまい商品の売上に全くつながらないなどの経験もした」ため、経営者として自ら責任を取る覚悟で「自分の口で商品をアピールしたい」という思いがあることを語っている[7]。共演する保科有里とのやり取り等から不倫を疑われているが、そう見えるだけで単なるビジネスパートナーであると否定。
著書
『いつでも夢を。 挫折の人生でも前を向いて生きる!』2022年5月 内外出版社 (ISBN 978-4-86257-620-0)
ディスコグラフィ
参加楽曲
発売日 | 商品名 | 歌 | 楽曲 | 備考 |
---|---|---|---|---|
2022年7月6日 | 夢と…未来へ | 夢 石田社長と有里 | 「夢と…未来へ」 | |
「ごめんなさい、ありがとう」 | ||||
保科有里 | 「花の香りに包まれて」 |
脚注
- ^ “ZEROZERO 第29回 「今日は何の日?でZERO」”. Youtube (2019年7月9日). 2020年10月27日閲覧。
- ^ “社長自らCM出演する「夢グループ」 当初は「ダサいモデル使うな」の苦情も”. マネーポストWEB (2021年8月23日). 2021年8月29日閲覧。
- ^ a b “「夢グループ」社長がブチ上げ! 世界的ボーカルグループメンバーと〝合体〟&コロナ禍農家応援”. 東京スポーツ (2020年12月8日). 2021年3月15日閲覧。
- ^ a b “橋幸夫ら駆けつけ、夢グループ社長がトークショー”. 日刊スポーツ (2020年12月7日). 2021年3月15日閲覧。
- ^ a b c d e f 絨毯輸入では中国の従業員から総スカン、商品のシルクシャツを着たらクレーム…… 数日でクビばかりだった石田社長が、橋幸夫、黒沢年雄、チェリッシュたちが所属する“夢グループ”を作るまで - 文春オンライン・2021年12月2日
- ^ a b “昭和すぎるCMがクセになる~ 通販事業「夢グループ」とは”. 週刊朝日 (2020年9月16日). 2021年3月15日閲覧。
- ^ a b c 「勘弁してください、隣にいる保科は愛人じゃないです(笑)!」 撮影は自社スタジオ、構成や演出は社長プラン、商品は低価格…通販会社・夢グループの“ゆるいCM“のナゾ - 文春オンライン・2021年12月2日