概要
尾張徳川氏の重臣・石川光忠(徳川義直の異父兄弟)によって現在の岐阜県羽島郡駒塚に築塁され、寛文10年(1670年)に完成した[1](光忠はこの時点で他界している)。堀で囲まれており、10,000石の領主として相応しい陣屋であったという[1]。
築塁主・光忠の家系は陸奥石川氏で、父・光元は播磨龍野城主であったが、関ヶ原の戦いで西軍に組し改易された[2]。
築塁当時の姓は石川であり、石河と改称するのは光忠の曾孫・石河正章の代からである[2]。
光忠は母・お亀の方と共に尾張徳川氏に家老として仕え、美濃国・摂津国に合計10,000石を領していた[1][2]。
現在は耕作地となっており、遺構はほとんど失われている[1]。
脚注
参考文献
- 『城郭と城下町〈3〉東海―静岡・愛知・岐阜・三重』- 小学館