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石楯尾神社

石楯尾神社(いわたておのじんじゃ、或いは いわたておじんじゃ)とは、延長5年(927年)の『延喜式神名帳』に記載されている相模国延喜式内社十三社の内の一社(小社)で、鎮座地については同帳に「高座郡石楯尾神社」とある。

この社に関しては論社が多く存在するため、本項では論社とされる複数の神社を併記している。

石楯尾神社 (相模原市緑区名倉)

石楯尾神社

 

 
所在地 神奈川県相模原市緑区名倉4524
位置 北緯35度36分51.6秒 東経139度7分54.6秒 / 北緯35.614333度 東経139.131833度 / 35.614333; 139.131833
主祭神 石楯尾大神
社格 式内社(小)、郷社旧社格
創建 不詳
本殿の様式 神明造
別名 名倉権現
例祭 8月26日
(テンプレートを表示)

石楯尾神社(いわたておのじんじゃ)は、神奈川県相模原市緑区名倉に鎮座する神社である。「名倉の権現さま」とも呼ばれる。

当社は延喜式記載の鎮座地である「高座郡」より外側(旧愛甲郡)に位置するが、当時は郡の範囲が北西部の相模川沿いまで伸びていたとする説もある。また、創建当初はいまの場所より僅かに西方の、甲斐国との国境(現在の山梨県との県境)により近い位置に鎮座していたと伝えられる。

旧来「エボシ岩」が礼拝対象であった。この岩と伝わるものが明治に入るまで当社の東方近辺にあったが、中央本線の鉄道建設工事の折に撤去されてしまった。また、この岩から見て当社は尾っぽの方(相模国の端であり、地形的には丘陵の端でもある)に位置するので、「石楯尾(いわたてお)」と呼ばれるようになったともいわれる。

応神天皇の御幸所で御造営があったとも伝えられ、天安元年(857年)、従五位下の神とし官社に預った事が文徳実録に記載されている国史所載社である。延喜式では式内小社に列した延喜式内社であるが三増合戦の禍を受け、永禄12年(1569年)社殿全部が火災にあい、古記録まで焼失した。

現在の社殿は享保9年(1724年)に建築されたものである。明治6年(1873年)、社格制定に際し郷社となる。1923年大正12年)、神奈川県告示第26号により神饌幣帛料供進指定神社に指定され、1948年昭和23年)には神奈川県神社庁の(献幣使参向神社)に指定された。

神社明細帳は元亀元年(1570年)に消失したとされ由緒がわからなくなっていたが、1942年(昭和17年)に神社明細帳の訂正が許可され、正式に式内社として国家から認められた。また戦後には、古文書によっても証明されたとされる。

桂川南岸に鎮座していることから、式内社調査報告では地形的に当社が式内社である可能性が高いとしている。また、文化5年(1808年)と翌年に神祇官から献上された幣帛が今に残っており、実際の証明物としても論社の中で最古のものである。

祭神

祭礼

境内社

交通

  • JR中央本線藤野駅から(富士急バス)の「名倉循環線」[1]に乗車して「名倉」下車、徒歩13分ほど。
  • 同駅より徒歩30分ほど。また、同線の上野原駅からも徒歩30分ちょっとで行くことが可能。

備考

御朱印などを頂く際には、(社務所)に人がいない場合もあるので事前に問い合わせ等をした方がよい。

参考文献

  • 石楯尾神社(相模原市緑区名倉)境内掲示板

外部リンク

  • 石楯尾神社(神奈川県神社庁)

石楯尾神社 (相模原市緑区佐野川)

石楯尾神社

 

 
所在地 神奈川県相模原市緑区佐野川3448
位置 北緯35度39分23.1秒 東経139度7分10.5秒 / 北緯35.656417度 東経139.119583度 / 35.656417; 139.119583
主祭神 神日本磐余彦尊
社格 式内社(小)、村社(旧社格)
創建 不詳
本殿の様式 八幡造
別名 御石杜
例祭 8月23日
(テンプレートを表示)

石楯尾神社(いわたておじんじゃ)は、神奈川県相模原市緑区佐野川に鎮座する神社である。

景行天皇庚戌40年(110年)、日本武尊東征のときに持ち来った天磐楯を東国鎮護のためここに鎮め、神武天皇を祀ったのが始まりである。

坂上石楯は、高座郡の県主で当地の住人であった。第47代淳仁天皇天平宝字8年(764年)に藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)のとき、乱を鎮めた功によって、高座・大住鮎川多摩都留の五郡を賜ったといわれ、石楯尾神社の保護者であった。

本来は巨石を祀っていたという。江戸時代には武甲相三州から多くの民衆がお参りし、幼児の疳虫除けの祈祷を受けたという。

永禄12年(1569年)に武田信玄小田原を攻めたとき焼かれたが、その後、再建されて今日に至っている。

幣殿、拝殿は1937年(昭和12年)に改築されたが本殿は室町時代の建築様式をよく伝えている。本殿棟札には「天保7年(1836年)11月氏子中、調写、浄善石船、謹記」とある。神楽殿は弘化年間(1854年)に建てられたものである。

祭神

交通

  • JR中央本線上野原駅から(富士急バス)の「井戸」行きに乗車[1]、「石楯尾神社前」下車すぐ。
  • 同駅より徒歩1時間40分ほど。

備考

現在、相模原市緑区与瀬にある與瀬神社[2]が当社の管理を兼務している(御朱印等の問い合わせもこちらへ)。

参考文献

  • 石楯尾神社(相模原市緑区佐野川)境内掲示板

外部リンク

  • 石楯尾神社(神奈川県神社庁)

石楯尾神社 (相模原市南区)

 
拝殿

所在地

神奈川県相模原市南区磯部2137

外部リンク

  • 石楯尾神社(神奈川県神社庁)

諏訪明神(相模原市緑区大島)

諏訪明神 (相模原市)」を参照

諏訪神社(大和市)

所在地

神奈川県大和市下鶴間2540

外部リンク

  • 諏訪神社(神奈川県神社庁)

諏訪明神 (座間市入谷)

所在地

神奈川県座間市入谷1-1568

外部リンク

  • 諏訪明神(神奈川県神社庁)
  • 諏訪明神(ルーツ座間:野火のコラム)

皇大神宮 (藤沢市鵠沼)

石楯尾神社(境内末社)

神奈川県藤沢市鵠沼に鎮座する皇大神宮の(境内末社)。皇大神宮の社伝によると、現皇大神宮の建立以前に石楯尾神社があったとされる[3]

祭神

  • 石楯尾大神

祭礼

  • 5月17日 - 石楯尾神社例祭

参考文献

  • 皇大神宮(藤沢市)境内掲示板

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 路線バス:上野原・藤野地区(富士急バス)
  2. ^ 與瀬神社(神奈川県神社庁)
  3. ^ 皇大神宮(神奈川県神社庁)

関連項目

外部リンク

  • 石楯尾神社の謎(鵠沼を巡る千一話)
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