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石川 康通(いしかわ やすみち)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。美濃大垣藩の初代藩主。伊勢亀山藩石川家初代。石川家成の長男。石川数正は従兄に当たる。
概要
天正元年(1573年)、武田勝頼率いる武田軍と戦って武名を挙げた。天正8年(1580年)、父が隠居したため、家督を継ぐ。父の家成は家康の従兄弟にあたり、西三河の旗頭となった、徳川家でも一、二を争う重臣であった。天正18年(1590年)、徳川家康が関東に移封された時、それまでの戦功を賞されて上総成戸に2万石の所領を与えられた。
当時の康通は徳川家中の有力大名として、井伊直政・本多忠勝・榊原康政・平岩親吉と共に在京中の家康守護を交代で務めていた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、竹谷松平家清と協力して尾張国清洲城の守備、石田三成の近江国佐和山城攻めに参加し、戦後に戦功を賞されて美濃大垣藩5万石に加増移封された。
慶長12年(1607年)、6月26日に仮死状態となるもその夜半に蘇生、大垣城天守の作事を命じて材木等の用意を行わせるも、7月26日父に先立って病死した。享年54。