石塚 克彦(いしづか かつひこ、1937年8月4日[1] - 2015年10月27日)は、日本の舞台演出家。本名同じ。画号は「烏山(うざん)」。武蔵野美術学校洋画科卒[1]。日本劇作家協会会員。
来歴
古美術研究で奈良に遊学後、平城京発掘に参加。シナリオライター山形雄策に師事。劇団新制作座、(統一劇場)を経て、1983年、劇団ふるさときゃらばんを創立。脚本・演出・美術プランナーとして、第1作ミュージカル『(親父と嫁さん)』を上演、文化庁芸術祭賞を授賞[2]。1987年、第3回(日本舞台芸術家組合賞)を受賞。[1]
1991年、日米合作ミュージカルのメインライターとして「(LABOR OF LOVE)」を上演、日米両国ツアー、(バルセロナオリンピック芸術祭)に招聴される。文化放送との共催で(ミュージカル体験塾)・演出。1994年、第1回全国棚田(千枚田)サミット、1999年-2006年、東京・日本橋三越での棚田展他をプロデュース。1999年、(棚田学会)を設立。棚田学会副会長。(全国棚田(千枚田) 連絡協議会)理事。2000年、東京芸術劇場ミュージカル月間にて最優秀賞を受賞。2003年、映画「(走れ!ケッタマシン~ウェディング狂想曲~)」で 初監督。[1]
2015年10月27日、心不全で死去した。[3]
主な作・演出作品
( )は公演期間
統一劇場時代
カントリーミュージカル
- (親父と嫁さん)(1983年 - 1986年) - 1985年度文化庁芸術祭賞受賞
- (兄んちゃん)(1985年 - 1987年) - 1987年度文化庁芸術祭参加作品
- (ザ・結婚)(1986年 - 1988年)
- (ムラは3・3・7拍子)(1988年 - 1992年) - 初の47都道府県公演を達成
- (男のロマン女のフマン)(1993年 - 1995年)
- (パパは家族の用心棒)(1996年 - 1998年) - 1997年第4回水産ジャーナリストの会年度賞受賞
- (噂のファミリー 1億円の花婿)(1999年 - 2001年) - 2000年第2回東京芸術劇場ミュージカル月間公演優秀賞
- (トランクロードのかぐや姫)(2010年 - )
サラリーマンミュージカル
- (ユーAh!マイSUN社員)(1990年) - 1990年度文化庁芸術祭参加
- (サラリーマンの金メダル)(1992年 - 1993年) - 1992年度文化庁芸術祭参加
- (裸になったサラリーマン)(1996年) - 1996年第4回(スポニチ文化芸術大賞)グランプリ受賞
- (Oh!マイSUN社員)(1997年 - 1998年) - 初の特設劇場(FURUCARAシアター)公演
- (パパの明日はわからない)(2002年 - 2005年) - 2002年第14回池袋演劇祭大賞受賞
おとなとこどものファンタジーミュージカル
- (クマゴンの森)(1993年 - 2000年)
- (瓶ヶ森の河童)(1999年 - 2002年)
- 天狗のかくれ里(2003年 - 2006年)
- (雲たか山の鬼)(2008年 - 2010年)
パブリックミュージカル
- (リバーヘッド)(2001年 - 2005年)
- (あしたくる風)(2003年 - 2007年)
- (みちぶしん)(2005年 - 2008年)
- (カントリーチャレンジャー)(2005年)
- (ホープ・ランド)(2008年 - 2010年)
スペクタクルイベント
- (LABOR OF LOVE)(1991年 - 1992年) - 日本のミュージカル史上初の日米合作&ツアー作品、バルセロナオリンピック芸術祭参加作品
- 川と人と橋のものがたり(1989年 - 1996年) - 1989年第6回日本イベント大賞最優秀企画賞受賞
- 朝日村ファンタジー(1993年) - 信州博覧会イベント、上條恒彦との共演
- ミュージカルとJAPAN食のイベント(1997年)
- (駆けろ!架けろ!YATTOSEY!)(1997年 - 98年) - 神戸-鳴門ルート全通記念事業
- リバー・ピープル〜川とたたかう人々(2000年) - 白根市制40周年記念事業、大河津分水路通水80周年・関屋分水路通水30周年記念イベント
- 20世紀から21世紀へ HOP STEP NAGOYA(2000年) - 年越しカウントダウンミュージカル
- (ホクトウの森)(2001年、2003年) - 2001年うつくしま未来博ジャパンエキスポ大賞優秀賞受賞
- (みちぶしん)(2003年 - )
- (われら地球族!)(2005年) - 愛・地球博ウェルカム特別公演
- どんどんどんどん(2005年) - 愛・地球博モリゾー・キッコロメッセ出展プログラム
- 世界はまるい(2005年)