石井 信易(いしい のぶやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。肥前国の戦国大名龍造寺氏の重臣。龍造寺隆信の旗本部将。佐賀藩祖鍋島直茂・陽泰院夫妻の甥で、初代藩主勝茂の従兄。石井氏4代目宗家。
来歴
龍造寺隆信の御馬廻衆石井刑部少輔常忠の嫡男として誕生。母は石井石見守忠次の娘。隆信より偏諱を授けられ、「忠胤」(ただたね)改め「信易」と名乗る。 従弟には鍋島勝茂・忠茂兄弟のほか、石井茂成、鍋島茂里・茂賢兄弟がいる。
龍造寺氏の分限帳によれば、石井党の主将の一人として「石井大膳亮」とみえ、既に天正8年(1580年)には、父常忠が隠居し、石井嫡男家(和泉守家)の家督、すなわち一族の宗家を継いでいたと考えられる。
天正12年(1584年)、沖田畷の戦いでは石井隊は旗本隊に属し、信易も一隊の将として、主君隆信の本陣を守備していたが、島津軍の猛攻により、本陣が壊滅。信易も隆信と共に戦死した。
男子がなかったため、鍋島直茂・陽泰院夫妻の取り計らいにより、分家伊予守家の石井三右衛門尉忠易(石井肥後守忠時の次男)が信易の娘を娶り、宗家を継いだ。
石井嫡男家(和泉守家)は一族の宗家として子々孫々まで遇され、家禄250石の身上をもって明治維新まで存続した。
参考文献
- 『(北肥戦誌)((九州治乱記))』((青潮社)刊)
- 『石井系譜』(佐賀県立図書館所蔵)