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真盛寺

真盛寺(しんせいじ)は、東京都杉並区梅里一丁目にある寺院で、真盛上人の興した天台真盛宗の東京別院である。

真盛寺
所在地 東京都杉並区梅里1-1-1
位置 北緯35度41分44.8秒 東経139度39分10.3秒 / 北緯35.695778度 東経139.652861度 / 35.695778; 139.652861座標: 北緯35度41分44.8秒 東経139度39分10.3秒 / 北緯35.695778度 東経139.652861度 / 35.695778; 139.652861
山号 天羅山
宗派 天台真盛宗
本尊 阿弥陀三尊
創建年 寛永八年(1631年
開基 真観
正式名 天羅山養善院真盛寺
文化財 「真観上人画像」、「商山四皓」図
法人番号 3011305000326
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歴史

寛永8年(1631年)に、伊賀国(現在の三重県)出身の真観上人によって現在の文京区湯島の地に建立された[注釈 1]。その後天和3年(1683年)に現在の台東区谷中に、さらに元禄元年(1688年)に本所区中之郷(現在の墨田区横川)に移転した[1]。現在地へは大正11年(1922年)に移転した[1]延宝元年(1673年)に三井高利江戸日本橋において創業した越後屋菩提寺になっており、俗に「三井寺」とも呼ばれている。また境内は杉並区内においては第3位の広さを誇る。

真盛寺と大相撲

昭和20年3月10日の東京大空襲で、下町一帯は焼け野原になり、周囲にあった相撲部屋もほとんど消失、一か月ほど経ってから、後援会の取り持ちで玉ノ海率いる二所ノ関部屋が間借りした。5月25日の夜の空襲で真盛寺界隈も戦渦に見舞われると、神風ら部屋の力士たちが消火活動に奔走し火を消し止め、真盛寺は護られた。翌日焼け出された双葉山が20名ほどの弟子を連れ一か月ほど身を寄せる。昭和21年10月には大ノ海が第45代横綱となる若ノ花をスカウトし、真盛寺に連れてくる。昭和22年夏場所千秋楽の夜、若ノ花とのちの大関琴ヶ濱が食事に行こうとすると、力道山に脱走と勘違いされ、以後目をかけられしごかれることになる。二所ノ関部屋は昭和25年に両国へ戻るが、大ノ海は杉並に残り若ノ花を連れて分家独立、杉並区阿佐ヶ谷に花籠部屋(独立当初は芝田山部屋)を創設する。真盛寺はのちに花籠部屋、二子山部屋を枢軸とした「阿佐ヶ谷勢」魁の地となった[2][3]

施設・史跡

いずれも本所にあったものを当地に移築したもの。

  • 客殿・庫裡 - 明治天皇の行幸を仰ぐため細川侯爵邸を譲り受け、目白高田老松町(現在の豊島区)から移築したもの。
  • 新鏡ヶ池

アクセス

脚注

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注釈

  1. ^ 慶安3年(1650年)という説もある[1]

出典

  1. ^ a b c むかし墨田にあったお寺 1983, p. 12.
  2. ^ 杉並区立郷土博物館編「大相撲杉並場所展 : 阿佐ケ谷勢その活躍と栄光の歴史」真盛寺と二所ノ関部屋 1991.11
  3. ^ 花籠昶光 『横綱づくりの秘伝 : 私の相撲自伝』 ベースボール・マガジン社P45~51

参考資料

  • 杉並区教育委員会設置真盛寺案内板
  • 杉並区立郷土博物館編「大相撲杉並場所展 : 阿佐ケ谷勢その活躍と栄光の歴史」1991.11
  • 花籠昶光『横綱づくりの秘伝 : 私の相撲自伝』 ベースボール・マガジン社 1977
  • 墨田区教育委員会社会教育課編集『むかし墨田にあったお寺』墨田区教育委員会社会教育課、1983年3月、12頁。 

関連項目

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