この記事は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2018年6月) |
相良 頼綱(さがら よりつな、1876年(明治9年)11月17日 - 1966年(昭和41年)12月)は、大正時代から昭和時代の華族。相良氏第37代当主。子爵。人吉藩14代藩主相良頼基の4男。母は嶋田清助の長女・金。正室は稲葉久通の娘・壽子。子に(頼知)(よりのり)、(綱二)、嶋子((真田幸治)夫人)、充子((伊藤銃次郎)夫人)。
経歴
1892年(明治25年)7月、学習院初等学科を卒業。外国語学校に進学。後に林学を学ぶ。帝室林野管理局技手に採用される。辞職後、山林を経営する。1924年(大正13年)、養父頼紹の死去にともない、家督を相続する。1954年(昭和29年)人吉市名誉市民第1号となる。墓所は相良氏代々の菩提寺である(願成寺)。