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相模カンツリー倶楽部

相模カンツリー倶楽部(さがみカンツリーくらぶ)は、神奈川県大和市中央林間西に広がるゴルフ場である。

相模カンツリー倶楽部
Sagami Country Club
厚木国際カントリー俱楽部の空中写真。
2019年8月3日撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
所在地 日本
神奈川県大和市中央林間西七丁目1番1号
座標: 北緯35度30分28.73秒 東経139度26分9.79秒 / 北緯35.5079806度 東経139.4360528度 / 35.5079806; 139.4360528
概要
開業 1931年昭和6年)9月27日
(運営) メンバーシップコース
設計 赤星 六郎
運営者 一般社団法人 相模カンツリー倶楽部
(トーナメント)1935年 第10回 日本プロゴルフ選手権大会
1937年 第10回 日本オープンゴルフ選手権競技
1952年 第20回 日本プロゴルフ選手権大会
1955年 第23回 日本プロゴルフ選手権大会
コース

OUT COURSES IN COURSES
HOLE PAR YARD HOLE PAR YARD
1 4 397 1 3 198
2 4 389 2 4 428
3 3 171 3 4 452
4 5 550 4 3 157
5 4 451 5 4 330
6 3 170 6 4 424
7 4 371 7 4 337
8 4 324 8 5 530
9 5 461 9 5 471
36 3284 36 3327

その他
公式サイト 相模カンツリー倶楽部
(テンプレートを表示)

概要

1929年昭和4年)、小田急電鉄株式会社小田急江ノ島線を開通させ、沿線に林間都市開発構想を計画、中心施設にゴルフ場を考えた[1]。いち早く乗り出したのが、東京ゴルフ倶楽部駒沢コース(1914年大正3年》開場、1941年《昭和16年》閉鎖)で、クラブの移転先問題で候補に挙がったが不調に終わった[1]。新たなゴルフ場の創設に動いたのは、伊藤文吉ら7人で、「相模カンツリー倶楽部」の建設に向け呼びかけた先は、満鉄正金三菱などだった[1]

1930年(昭和5年)、コース設計を赤星六郎に依頼、ゴルフ用地は川や沼もある(リンクス)であった。赤星自身初めて設計したコースである[1]1931年(昭和6年)9月27日に9ホールが仮開場され、赤星六郎はこの時の設計について「コースは、私が抱いている夢と理想を表現した」と語った[1]1933年(昭和8年)7月16日、18ホールが完成し開場した。1936年(昭和11年)4月、倶楽部は社団法人の認可が下りた[1]

1944年(昭和19年)7月、陸軍の研究用地のために9ホールに徴発命令が下された[1]1945年(昭和20年)4月、陸軍農耕隊の駐屯が決定し、栽培を始めたのでゴルフ場は休場となった。終戦時、無傷なホールは5番、9番、10番、18番ホールだけだった[1]。同年10月、倶楽部の理事会で再開を決定、東京急行電鉄の協力を得てコースの復旧作業に着手した[1]1946年(昭和21年)1月、米軍から使用の申入れがあったが、その10日後にクラブハウスが全焼した[1]

1947年(昭和22年)1月2日、5ホールのコースで仮開場と共に仮クラブハウスが完成し[1]、6月に18ホールが完成した。1950年(昭和25年)5月、サブグリーンの設置の設計を井上誠一に依頼し、同年10月、ツーグリーンが完成した。1965年(昭和40年)9月17日、新クラブハウスが落成した。1966年(昭和41年)11月4日、タイムライフ・インターナショナル社の好意により、ジャック・ニクラスゲーリー・プレーヤーアーノルド・パーマーがラウンドした[2][3]

所在地

〒242-0008 神奈川県大和市中央林間西七丁目1番1号

コース情報

  • 開場日 - 1931年9月27日
  • 設計者 - 赤星 六郎
  • コースタイプ - 林間コース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,144ヤード、コースレート71.1
  • グリーン - 2グリーン、ベント(ペンクロス)、ニューベント
  • フェアウエイ - コーライ
  • ラフ - ノシバ
  • ハザード - バンカー95、池が絡むホール1
  • プレースタイル - 歩き(電動カート)、全組キャディ付き
  • 練習場 - 28打席 230ヤード
  • 休場日 - 毎週月曜日、12月31日、1月1日[4][3]

ギャラリー

  • コース - 「相模カンツリー倶楽部」、コース紹介
  • ハウス - 「相模カンツリー倶楽部」、レストラン

交通アクセス

メジャー選手権

エピソード

  • ゴルフ場のコース設計家の赤星六郎は、相模カンツリー倶楽部の設計が処女作だった。コースが平坦なため、変化を付けるために、バンカーの数を66か所(現在は106か所)と多く配置したことから、「相模は難しい」と評判になった[1]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「相模カンツリー倶楽部」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2020年7月23日閲覧
  2. ^ 「相模カンツリー倶楽部」、倶楽部の歴史、2020年7月23日閲覧
  3. ^ a b 「相模カンツリー倶楽部」、ゴルフダイジェスト、ゴルフ場詳細、2020年7月23日閲覧
  4. ^ 「相模カンツリー倶楽部」、コース紹介、2020年7月23日閲覧
  5. ^ 「相模カンツリー倶楽部」、アクセス、2020年7月23日閲覧
  6. ^ 「相模カンツリー倶楽部」、ゴルフダイジェスト、地図・アクセス、2020年7月23日閲覧
  7. ^ a b c 「日本プロゴルフ選手権大会」、日本プロゴルフ協会、2020年7月23日閲覧
  8. ^ 「日本オープンゴルフ選手権競技」、日本ゴルフ協会、2020年7月23日閲覧

関連文献

  • 『週刊ダイヤモンド 59(14);1971年3月27日号』、「日本のゴルフ場 相模カンツリー倶楽部」、川津乕雄・伊藤昭二著、東京 ダイヤモンド社、1971年3月27日、2020年7月23日閲覧
  • 『相模カンツリー倶楽部50年史五十年史』、編纂委員会編、1983年12月、2020年7月23日閲覧
  • 『相模40年史 1931-1971』、40年史特別委員会編、1971年7月、2020年7月23日閲覧
  • 『ゴルフ場ガイド 東版』2006-2007、「相模カンツリー倶楽部(神奈川県)」、東京 ゴルフダイジェスト社、2006年5月、2020年7月23日閲覧
  • 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「相模カンツリー俱楽部」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2020年7月23日閲覧
  • 『経営法曹ゴルフ会だより』、「相模カンツリー俱楽部のこと」、西尾幸彦著、東京 経営法曹会議、2015年6月、2020年7月23日閲覧

関連項目

外部リンク

  • 相模カンツリー倶楽部
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