百舌鳥大塚山古墳(もずおおつかやま こふん)は、大阪府堺市西区上野芝町四丁にかつて存在した古墳。古墳時代中期の前方後円墳。陵墓や史跡等に指定されていなかったことから、戦後の宅地造成で消滅した。
百舌鳥大塚山古墳 | |
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百舌鳥大塚山古墳(1948年米軍撮影) 右上は上石津ミサンザイ古墳 | |
所属 | 百舌鳥古墳群 |
所在地 | 大阪府堺市西区上野芝町4丁 |
位置 | 北緯34度33分1秒 東経135度28分27秒 / 北緯34.55028度 東経135.47417度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 全長168m(元・全国54位) |
出土品 | 埴輪、勾玉、管玉、櫛、銅鏡、鉄製甲冑、短甲、刀剣、手斧、鎌、鋸、鉗など |
築造時期 | 5世紀頃 |
史跡 | なし |
特記事項 | 現在は消滅。 |
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
概要
上石津ミサンザイ古墳の南に位置し墳丘の全長168メートルの前方後円墳であり、百舌鳥古墳群では第5位、全国でも第54位の大きさを誇っていた。 墳丘は三段築成、くびれ部には造り出しがあり、周濠がめぐっていた。
1949年(昭和24年)に墳丘が削られ、周濠も埋め立てられ、地上から姿を消した。 また、かろうじて残っていた墳丘の裾部も、1986年(昭和61年)の宅地造成工事により全て削り取られてしまった。 戦後に破壊された古墳として最大規模であり、現在は、道路の形状に輪郭の痕跡を残すのみである。
発掘調査
宅地造成工事に先立ち、1949年に緊急の発掘調査が行われた。 墳丘には葺石・埴輪列が確認され、また、前方部に4基、後円部に4基の粘土槨が確認された。そのうち遺体が埋葬された痕跡が認められたのは、前方部・後円部各1基のみであり、他は副葬品のみであった。埋葬施設は高野槙製の木棺であった。副葬品として、勾玉、管玉、櫛、銅鏡、鉄製の甲冑、短甲、刀剣、手斧、鎌、鋸、鉗(かなはし)などが多数出土した。とりわけ刀剣は300口を超えた。
1986年に堺市教育委員会により、墳丘の裾部の発掘調査が行われた。この調査により、古墳の造営方法が確認された。
消滅寸前の百舌鳥大塚山古墳(緑色部、1985年)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成出土した冑・短甲
堺市博物館展示。