『白潮』(1922‐1923)は朝鮮の文芸雑誌。
概要
創刊号は1922年1月9日に発行された。編集者は洪思容、発行人は(アメリカ人)のヘンリー・アペンゼラー(Henry Dodge Appenzeller、亜扁薛羅)、発行所は(文化社)、定価1冊60銭、142ページ。第2号は1922年5月25日に発行された。編集人は洪思容、発行人はアメリカ人の(ボイス夫人)、発行所は文化社、定価70銭、152ページ。第3号は1923年9月6日に発行された。編集人は朴鍾和、発行人はロシア人の(フェルヘロ)、発行所は(白潮社)、定価90銭、216ページ。
創刊当時の同人は洪思容、朴鍾和、(朴英熙)、羅稲香、玄鎮健、(盧子泳)、(鄭栢)、(崔承一)。表紙の絵は(安碩柱)が担当した。鄭栢、崔承一は同人であるが『白潮』に掲載された作品はない。第2号に李光洙、第3号に(金基鎮)、方定煥が加わる。同人結成当時、朴鍾和、洪思容は(徽文義塾)の学生であり、朴英熙、羅稲香らは培材学堂の学生であり、その他同人達も20代前後の若い青年達であった。その資金運営は厳しく、後援者の(金徳基)、(洪思中)の協力を得て、構想から4年かけて出版にこぎつけた。当初は『白潮』を文芸雑誌とする一方、思想雑誌として『黒潮』を出版する予定であったが、これは実現されなかった。発行人に外国人を求めたのは、朝鮮人の発行であると日帝当局の事前検閲を受けるが、外国人の発行の場合、それを免れることができたためである。
『白潮』は第3号を以て廃刊となるが、朝鮮文学史上、『創造』『廃墟』『(朝鮮文学)』『霊台』等と並ぶ純文学雑誌として大きな貢献を果たした。
作品
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浪漫主義文学が主である
創刊号
第二号
- 「星を抱けば泣かない」(小説、羅稲香)
- 「蹂躙」(小説、玄鎮健)
- 「夢の国へ」(詩、朴英熙)
- 「春は行ったのです」(詩、洪思容)
- 「黒房悲曲」(詩、朴鍾和)
第三号
- 「私の寝室へ」(詩、李相和)
- 「流れる水をつかんで」(詩、洪思容)
- 「私は王である」(詩、洪思容)
- 「それはすべて夢だったが」(詩、洪思容)
- 「女理髪師」(小説、羅稲香)
- 「首をくくられる女」(小説、朴鍾和)
- 「死より痛い」(戯曲、朴鍾和)