生涯
文禄元年(1592年)、白河結城氏庶流・小峰義名の子として誕生した。
父・義名は早世したため、この時点で跡取りのいなかった伯父・結城義親の婿養子となる[1]。義親は天正18年(1590年)の奥州仕置の際に改易されて以来流浪の身であったが、慶長6年(1601年)に伊達政宗の客分となり百人扶持を給与されると、義綱もこれに従って仙台に移った。
義綱は寛永3年(1626年)に義親が86歳で死去する以前に既に家督を譲られていたと考えられる。義綱の代以降もっぱら白河氏[2]を名乗るようになったが、義綱の代までは客分扱いのままであり、正式に仙台藩の家中に組み込まれるのは子の義実の代からである[3]。
系譜
脚注
出典
- 『一迫町史』(宮城県栗原郡一迫町、1976年)