白井 長治(しらい ちょうじ、1901年(明治34年)7月16日[1] - 1983年(昭和58年)5月19日[1])は、日本の政治家。千葉県富津市長を2期務めた。
来歴
千葉県富津市出身。君津郡大貫町議会議員1期[2]。1960年から千葉県議会議員[3]。1975年4月富津市長当選[2]。
1979年富津市長選挙
2期目の挑戦となった1979年の市長選挙は候補者が乱立し、当選の条件となる法定得票数に達する者はいなかった。このため、公職選挙法の規定により、地方自治体の首長選挙としては日本初となる再選挙が行われることになった[3][4][5][6]。
※当日有権者数:39,882人 最終投票率:89.32%(前回比:pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
(当選者なし) | - | - | - | -票 | -% | - |
わたなべ清 | 55 | 無所属 | 新 | 8,274票 | 23.22% | |
いしわた四兵い | 53 | 無所属 | 新 | 7,861票 | 22.06% | |
白井長治 | 77 | 無所属 | 現 | 7,109票 | 19.95% | |
石井隆 | 57 | 無所属 | 新 | 7,096票 | 19.91% | |
いわさき一男 | 67 | 無所属 | 新 | 5,053票 | 14.18% |
再選挙
※当日有権者数:39,899人 最終投票率:85.97%(前回比:-3.35pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
白井長治 | 77 | 無所属 | 現 | 12,248票 | 35.70% | |
石井隆 | 57 | 無所属 | 新 | 10,965票 | 31.96% | |
わたなべ清 | 55 | 無所属 | 新 | 10,737票 | 31.29% |
白井は最初の選挙の時点では3番目の得票だったため、再選挙において当選する「逆転勝利」になった[5][6]。
選挙戦が混迷した原因について千葉日報は、1期目の白井がリーダーシップを含め圧倒的な強みを見せきれなかったことにあると分析している[4]。また、東京新聞(中日新聞東京本社)によると、白井が選挙前に一度発表していた引退表明を撤回したため、8年前に合併していた旧2町(大佐和町・天羽町)からの反発があったことも一因としている。再選挙では候補者調整の際に地元出身の衆議院議員で「ハマコー」の愛称で全国的にも知られていた浜田幸一も介入したため、前述の経緯による地域対抗戦に加えて、浜田派と反浜田派による代理戦争という側面にもなり、混沌となる事態になった[7]。
脚注
- ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、128頁。
- ^ a b “富津"再選"火ブタ切る”. 千葉日報: p. 1. (1979年6月8日)
- ^ a b c d 日外アソシエーツ『千葉県人物・人材情報リスト2021』第一巻、126頁
- ^ a b “白井氏が執念の再選”. 千葉日報: p. 1. (1979年6月18日)
- ^ a b “市川市長選、再選挙に 法定得票数に達せず 38年ぶり県内2例目”. 千葉日報 (2017年11月28日). 2022年10月4日閲覧。
- ^ a b 日本放送協会 (2018年5月10日). “再選挙ってなに?”. NHK選挙WEB. 2022年10月4日閲覧。
- ^ 谷岡聖史 (2022年10月18日). “「再選挙」過去6回はいずれも波乱含み 6票差の決着、3位から逆転…品川区長選はどうなる?”. 東京新聞. p. 1. 2022年12月5日閲覧。