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町資将

町 資将(まち すけまさ)は、戦国時代公卿。(町家)4代当主。高辻章長の次男。官位は正三位権中納言

 
町資将
時代 戦国時代
生誕 永正15年3月9日1518年4月18日
死没 弘治元年10月24日1555年12月8日
改名 資雄→資将→宗寂(法名)
官位 正三位権中納言
主君 後奈良天皇
氏族 高辻家→(町家)
父母 父:高辻章長、母:町広光
養父:町広光
兄弟 高辻長雅資将
(柳原淳光)
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経歴

初名は資雄(すけかつ)。早くから既に死去していた外祖父・町広光の嗣子として高辻家より養子に入る予定があったためか、高辻家の通し字である「長」が名前に用いられていない。

天文11年(1542年)閏3月13日、正四位となる。同13年2月24日、参議に補任され、続いて同年3月19日、従三位に叙せられる。同年から翌年にかけて豊前国及び薩摩国に下向している[1]

天文15年(1546年)1月に正三位となり、3月には権中納言に任じられていたが、天文18年(1549年)になって突如「逐電」した事が『公卿補任』に記されている。

弘治元年(1555年)になって滞在先の伯耆国で死去、子・(将光)(まさみつ)も柳原家を継いだため町家は断絶、(絶家)となった。

官歴

  • 永正15年(1518年)3月9日 - 誕生
  • 天文13年(1544年)2月24日 - 任参議
  • 弘治元年(1555年)10月24日 - 薨去

系譜

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 薩摩国では守護の島津氏の内紛が続き、庶流出身の島津貴久によってようやく薩摩の平定がなされたところであった。資将の貴久訪問によって朝廷が貴久を薩摩の国主として正式に認める形になった大山智美「戦国大名島津氏の権力形成過程―島津貴久の家督継承と官途拝領を中心に―」(初出:『比較社会文化研究』25号(2009年)/所収:新名一仁 編『シリーズ・中世西国武士の研究 第一巻 薩摩島津氏』(戎光祥出版、2014年) (ISBN 978-4-86403-103-5))。

参考文献

  • 伊藤慎吾『室町戦国期公家社会と文事』三弥井書店、2012年 (ISBN 978-4-8382-3218-5) P127

外部リンク

先代
町広光
(町家)当主
4代
次代
断絶
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