田辺 希賢(たなべ まれかた)は、江戸時代前期から中期にかけての仙台藩士。仙台藩の儒学者かつ神道家、歴史家。通称は喜右衛門。字は淳浦、整斎。号は西山贋樵。諡は恭懿先生。仙台藩儒宗田辺氏の祖。著作多数。家格は(召出二番座)。
略歴
承応2年(1653年)、京都にて誕生。家系は天正17年(1589年)に京都銅鑼坊に移った上毛野氏族田辺氏の一族。
始め伊藤仁斎、後に木下順庵、山崎闇斎らに師事する。また、神道を卜部氏、持明院流書流を持明院基時、茶道を清水道竿に学ぶ。
仙台藩4代藩主・伊達綱村の命を受けた大島良設の名家選考の対象の一人となり、延宝7年(1679年)に仙台藩に召し出されて仙台藩儒となる。元禄6年(1693年)に京都から仙台に移り、元禄8年(1695年)に綱村の養嗣子・吉村の侍講となる。元禄15年(1702年)に家格召出となる。石高600石または60貫目[1]を知行する。
著作
「肯山公実録」、「整斎筆記」、「八陣図説」、「三教名数」、「神書訓解」及び詩集がある。
脚注
- ^ 「三百藩家臣人名事典1」及び「宮城県姓氏家系大辞典」の『姓氏編』では600石、「宮城県姓氏家系大辞典」の『歴史・人物編』で60貫目とある。
参考文献
- 家臣人名事典編集会「三百藩家臣人名事典1」(新人物往来社、1987年)
- 「角川日本姓氏歴史人物大辞典4 宮城県姓氏家系大辞典」(1994年)